「青春の坂道」の終焉
青春の坂道 岡田奈々(作詞:松本隆)
https://www.youtube.com/watch?v=WZzGlOOnM0g
淋しくなると → 訪ねる 坂道の古本屋
立ち読みをする君に 逢える気がして
心がシュンとした日は → 昔なら君がいて
おどけては冗談で 笑わせてくれた
青春は長い坂を 登るようです
誰でも息を切らし ひとり立ち止まる
そんな時 → 君の手の 優しさに包まれて
気持ちよく泣けたなら 幸せでしょうね
言葉に出せない愛も → 心には通ってた
同じ道もう一度 歩きませんか
ペンキのはげたベンチに → 手のひらを当ててると
君のいたぬくもりを 今も感じます
青春は長い坂を 登るようです
→ 誰かの強い腕に しがみつきたいの
君といた年月が矢のように過ぎ去って
残された悲しみが しゃがみ込んでます
青春は長い坂を 登るようです
誰にもたどり着ける 先は分からない
そんな時 → ほら君が なぐさめに駆けて来る
幸せの足音が 背中に聴こえる
―――――――
肉としての人間の「幸せ」は、「不幸」の裏返しとして在ります。
「不幸」があるから「幸せ」を感じる。
「幸せ」を感じるために「不幸」を感じる。
「不幸」をグラウンド(基盤)にして、「幸せ」を生み出している。
飢え・渇き・枯渇・渇望・閑寂(かんじゃく)・空虚を前提にして
その対極を求める。
大きな幸せ感を得るために、大きな不幸感・努力・克己・修行を自身に強いているのです。
幸せを得るには対価が必要であると。
不幸の否定は、幸福の否定であると。
肉は「幸せ」を希求しながらも、実は「不幸」を招き寄せています。
「不幸」という前提条件の付いた「幸せ」。
ただ、肉は幸・不幸という二元・二極を体験したかっただけ・・・
霊はそっと見守っていました。
―――――――
そうした二元・二極としての幸・不幸の感得に
終焉を迎えさせようとする霊が表に現れてきています。
あなたの本質です。
究魂 拝
https://www.youtube.com/watch?v=WZzGlOOnM0g
淋しくなると → 訪ねる 坂道の古本屋
立ち読みをする君に 逢える気がして
心がシュンとした日は → 昔なら君がいて
おどけては冗談で 笑わせてくれた
青春は長い坂を 登るようです
誰でも息を切らし ひとり立ち止まる
そんな時 → 君の手の 優しさに包まれて
気持ちよく泣けたなら 幸せでしょうね
言葉に出せない愛も → 心には通ってた
同じ道もう一度 歩きませんか
ペンキのはげたベンチに → 手のひらを当ててると
君のいたぬくもりを 今も感じます
青春は長い坂を 登るようです
→ 誰かの強い腕に しがみつきたいの
君といた年月が矢のように過ぎ去って
残された悲しみが しゃがみ込んでます
青春は長い坂を 登るようです
誰にもたどり着ける 先は分からない
そんな時 → ほら君が なぐさめに駆けて来る
幸せの足音が 背中に聴こえる
―――――――
肉としての人間の「幸せ」は、「不幸」の裏返しとして在ります。
「不幸」があるから「幸せ」を感じる。
「幸せ」を感じるために「不幸」を感じる。
「不幸」をグラウンド(基盤)にして、「幸せ」を生み出している。
飢え・渇き・枯渇・渇望・閑寂(かんじゃく)・空虚を前提にして
その対極を求める。
大きな幸せ感を得るために、大きな不幸感・努力・克己・修行を自身に強いているのです。
幸せを得るには対価が必要であると。
不幸の否定は、幸福の否定であると。
肉は「幸せ」を希求しながらも、実は「不幸」を招き寄せています。
「不幸」という前提条件の付いた「幸せ」。
ただ、肉は幸・不幸という二元・二極を体験したかっただけ・・・
霊はそっと見守っていました。
―――――――
そうした二元・二極としての幸・不幸の感得に
終焉を迎えさせようとする霊が表に現れてきています。
あなたの本質です。
究魂 拝