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個性という枠におさまるほど人間は小さくない

――自分らしさという枠があるために、ひとつのお面しかつけることができない。
これでは生きづらくでしょうがない。――

あるとき老師が、中国の古典『荘子』の中におもしろい物語があると言われ、「コントンさん」の話を始めました。
「南の海にオッチョコチョイさん、北の海にハヤガテンさん、中央の海にコントンさんが住んでいた。
あるとき、オッチョコチョイさんとハヤガテンさんは、コントンさんに手厚いもてなしを受けた。

二人は、コントンさんに恩返しをするために、何がいいか相談した。
人間には目、鼻、口、耳の七つの穴があるけど、コントンさんはのっペらぼう。
それでは困るだろうからと、七つの穴を開けてあげることにしたんだよ。

そして、毎日ひとつずつ穴を開けていくと、とうとう七日目にコントンさんは死んでしまった・・・。
じつは、コントンさんは境界線のない自分のことなんだよ。

でも、のっペらぼうってナゾだらけだろう。
いったいどこで見たり、聞いたり、味わったりするのか、まったく理解できないからね。
その分、未知の可能性がいっぱいの自分のことなんだ。

ところが
『グズグズしないでさっさと決めなさい』
『いつまでもメソメソしないでさっさと気持ちを入れ替えなさい』
『モジモジしないで言いたいことがあるならさっさと言いなさい』
なんて怒られながら成長していくうちに、決断力のある自分は善くて、グズグズする自分は悪いという境界線を作ってしまう。
そして、グズグズする自分を捨ててしまっんだ。

本当はグズグズする自分こそ、想像力豊かな自分なのに。
ただ、いっぱいイメージが浮かんでグズグズしてるように見えるだけなのに。
そのグズグズする自分を捨ててしまったら、想像力豊かな自分も失ってしまうんだよ。

その結果、自分をどんどん小さくしてしまい、身動きとれなくなってしまう。
まさに、コントンさんに穴をあけ、死なせてしまうようなことをしているんだ。

ということは、神さまに文句を言ったヨブも、清く正しい自分は善くて、そうじゃない自分は悪いという境界線を作っていたのではないだろうか。
ヨブの文句に逆ギレして、ワガママな子供のようなことを言った神さまとは、じつはヨブに捨てられたヨブ自身かもしれないね。

ところで、『論語』に『君子は器ならず』という言葉があるのを知っているかい?
器というのは枠があるだろう。
だから役割も限られてくるんだ。
つまり、自分らしさという枠があるために、ひとつのお面しかつけることができないのだよ。
これでは生きづらくでしょうがない。

しかし、その枠がなくなれば何にでもなれる。
コントンさんのようにのっペらぼうなら、どんなお面でも自由自在につけることができるんだ。
のっペらぼうというのは個性がないということではなく、個性という枠におさまるほど自分は小さくないということだからね。

観音さまも器ではないから何にでも変身できるんだよ。
観音さまはその場、その場に合わせて、あるときは母親、あるときは妻、上司、部下、同僚、先生、生徒・・・と次々にふさわしい役割になりきって、見事な演技をこなしていく。

その変わりっぷりや演技が、まるでたくさんのお面を次々とつけかえているかのよう、だから、十一面観音という観音さまもいらっしゃるのだよ」


『願わなければ叶う5つの真実』(有野真麻(ありのまあさ) 著)
   ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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