泣き尽くしたとき本当の明るさ、勇気が出てくる
――とにかく、どんどん泣いて、どんどん笑うことだ。
泣けば不安や恐れも癒されるし、笑えば元気も出てくる。――
「とにかく、どんどん泣いて、どんどん笑うことだ。
泣けば不安や恐れも癒されるし、笑えば元気も出てくる」
という老師の言葉を聞いていると、思い切り泣く、思い切り笑うことから、ずいぶん遠ざかっていたような気がします。
僕は映画好きなので、まずは、思い切り泣ける映画、思い切り笑える映画をどんどん観ることからはじめてみよう、そうして、カラカラに干からびてしまった感性を、あの少年時代のようにみずみずしい感性に蘇らせたい。
そんなことを考えていると、
「良寛さんを知っているかな?」と老師が聞かれるので、
良寛さんが大好きな僕は、こんな話をしました。
あるとき、良寛さんは子どもたちとかくれんぼをしていたそうです。
そして、良寛さんが隠れる番になって、良寛さんは田んぼの中にうまく隠れることができた。
しかし、日が暮れて暗くなったため、子どもたちは良寛さんだけ見つけられないまま、家に帰ってしまいました。
翌朝、田んぼに来たお百姓さんは、良寛さんが居たので、びっくりして思わず大声で叫んでしまった。
それを聞いた良寛さんの言葉が笑えます。
「静かに!
そんなに大きな声を出したら、子どもたちに見つかってしまうよ」
なのですから。
そのあと老師は良寛さんについて、こんなエピソードがあると話してくれました。
涙がいかに人の心に癒しや元気を与える力をもっているか、話を聞いているだけで涙が流れそうでした。
「ある寒い冬の日、雪の降る中をわざわざ弟の妻がたずねてきた。
良寛さんが訳を聞くと
『息子の馬之助は年ごろになっても遊びや酒に夢中で、まったく仕事をしようとしません。
親の言うことも聞かないし、このままでは将来が心配で心配で。
何とか馬之助に言い聞かせていただけないでしょうか』
と言う。
良寛さんはその頼みを聞き入れ、あくる日、さっそく弟の家をたずねた。
ところが、久しぶりに馬之助と会った良寛さんはうれしくでしょうがない。
少しも説教をはじめる様子はなく、時のたつのも忘れて二人で楽しそうに話しこんでいる。
とうとう二晩も泊まってしまった良寛さんは、結局、説教らしいことはひと言も言わないまま、別れのあいさつをし、ワラジを履きはじめた。
そのとき良寛さんは
『馬之助、すまんがワラジのひもを結んでくれないか』
と頼んだんだ。
馬之助は良寛さんの足元にしゃがんで、ワラジのひもを結びはじめた。
すると、馬之助の首すじに何やらポタリと冷たいものが落ちた。
『何だろう?』と思って顔を見上げると、馬之助を見つめる良寛さんの目には、涙がいっぱいあふれていたのだよ。
そのまま良寛さんは何も言わずに帰っていった。
このことがあってから、馬之助は生まれ変わったように仕事に精を出すようになったということだ。
良寛さんには、馬之助の気持ちが自分のことのようにわかっていたから、何も言えなかったんだ。
すると涙がポタポタ落ちてきた。
それは、いのちからあふれ出てきた清めの涙だった。
その涙に馬之助の不安や悩みの雲も払われたんだよ。
『涙』は『水』と『戻』が組み合わさった漢字だが、ココロに潤いを与え、いのちの世界へとワシらをふたたび戻してくれるものなんだ」
ここまで話してから、老師は、じつは、あの秀吉にだって涙が枯れるまで泣き尽くした少年時代があったはずだとおっしゃいました。
「秀吉ほど陽気で話好きな男、若いころの自慢話、苦労話なら誇らしげにペラペラしゃべる男が、少年時代の話だけは
『尾張の名も無き百姓の子に生まれ、寺に入れられたが、途中で飛び出して、その後は各地を放浪した』と語るのみだ。
具体的なことは、一切、自分で語らなかったのだよ。
きっと、語るにはあまりにつらく、悲しいことが多すぎたんだろうね。
だから、きっと、泣いて、泣いて、泣き尽したんだ。
そして、あきらめたのだよ。
秀吉のお日さまのような明るさや勇気、行動力、ユーモア、慈しみとは、そこから全部、出てきたものなんだ」
『願わなければ叶う5つの真実』(有野真麻(ありのまあさ) 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
泣けば不安や恐れも癒されるし、笑えば元気も出てくる。――
「とにかく、どんどん泣いて、どんどん笑うことだ。
泣けば不安や恐れも癒されるし、笑えば元気も出てくる」
という老師の言葉を聞いていると、思い切り泣く、思い切り笑うことから、ずいぶん遠ざかっていたような気がします。
僕は映画好きなので、まずは、思い切り泣ける映画、思い切り笑える映画をどんどん観ることからはじめてみよう、そうして、カラカラに干からびてしまった感性を、あの少年時代のようにみずみずしい感性に蘇らせたい。
そんなことを考えていると、
「良寛さんを知っているかな?」と老師が聞かれるので、
良寛さんが大好きな僕は、こんな話をしました。
あるとき、良寛さんは子どもたちとかくれんぼをしていたそうです。
そして、良寛さんが隠れる番になって、良寛さんは田んぼの中にうまく隠れることができた。
しかし、日が暮れて暗くなったため、子どもたちは良寛さんだけ見つけられないまま、家に帰ってしまいました。
翌朝、田んぼに来たお百姓さんは、良寛さんが居たので、びっくりして思わず大声で叫んでしまった。
それを聞いた良寛さんの言葉が笑えます。
「静かに!
そんなに大きな声を出したら、子どもたちに見つかってしまうよ」
なのですから。
そのあと老師は良寛さんについて、こんなエピソードがあると話してくれました。
涙がいかに人の心に癒しや元気を与える力をもっているか、話を聞いているだけで涙が流れそうでした。
「ある寒い冬の日、雪の降る中をわざわざ弟の妻がたずねてきた。
良寛さんが訳を聞くと
『息子の馬之助は年ごろになっても遊びや酒に夢中で、まったく仕事をしようとしません。
親の言うことも聞かないし、このままでは将来が心配で心配で。
何とか馬之助に言い聞かせていただけないでしょうか』
と言う。
良寛さんはその頼みを聞き入れ、あくる日、さっそく弟の家をたずねた。
ところが、久しぶりに馬之助と会った良寛さんはうれしくでしょうがない。
少しも説教をはじめる様子はなく、時のたつのも忘れて二人で楽しそうに話しこんでいる。
とうとう二晩も泊まってしまった良寛さんは、結局、説教らしいことはひと言も言わないまま、別れのあいさつをし、ワラジを履きはじめた。
そのとき良寛さんは
『馬之助、すまんがワラジのひもを結んでくれないか』
と頼んだんだ。
馬之助は良寛さんの足元にしゃがんで、ワラジのひもを結びはじめた。
すると、馬之助の首すじに何やらポタリと冷たいものが落ちた。
『何だろう?』と思って顔を見上げると、馬之助を見つめる良寛さんの目には、涙がいっぱいあふれていたのだよ。
そのまま良寛さんは何も言わずに帰っていった。
このことがあってから、馬之助は生まれ変わったように仕事に精を出すようになったということだ。
良寛さんには、馬之助の気持ちが自分のことのようにわかっていたから、何も言えなかったんだ。
すると涙がポタポタ落ちてきた。
それは、いのちからあふれ出てきた清めの涙だった。
その涙に馬之助の不安や悩みの雲も払われたんだよ。
『涙』は『水』と『戻』が組み合わさった漢字だが、ココロに潤いを与え、いのちの世界へとワシらをふたたび戻してくれるものなんだ」
ここまで話してから、老師は、じつは、あの秀吉にだって涙が枯れるまで泣き尽くした少年時代があったはずだとおっしゃいました。
「秀吉ほど陽気で話好きな男、若いころの自慢話、苦労話なら誇らしげにペラペラしゃべる男が、少年時代の話だけは
『尾張の名も無き百姓の子に生まれ、寺に入れられたが、途中で飛び出して、その後は各地を放浪した』と語るのみだ。
具体的なことは、一切、自分で語らなかったのだよ。
きっと、語るにはあまりにつらく、悲しいことが多すぎたんだろうね。
だから、きっと、泣いて、泣いて、泣き尽したんだ。
そして、あきらめたのだよ。
秀吉のお日さまのような明るさや勇気、行動力、ユーモア、慈しみとは、そこから全部、出てきたものなんだ」
『願わなければ叶う5つの真実』(有野真麻(ありのまあさ) 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体