いのちには勝ち負けを超えるパワーがある
――つねに強い者が勝ち、弱い者が負ける世界にいるかぎり、決して不安から逃れることはできない。
強さ、弱さを超えた世界には恐れも心配もない。――
あるとき、老師は、剣の達人、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と、その禅の師匠、沢庵禅師が虎に対峠したときの話をされました。
「こんな話がある。
3代将軍、徳川家光の時代に、日本に初めて虎が来たんだ。
家光は家来200人を引き連れて虎を見物した。
その場所が現在の虎ノ門だよ。
虎を見ているうちに、家光には、この凶暴な虎と剣の達人である柳生宗矩を対決させたらどうなるか、という興味がわいてきた。
そして、宗矩は虎のオリの中に入ることになったんだ。
ところが、虎のオリの中に入った宗矩は怯える様子もなく、逆にギョロリと虎をにらみつけた。
すると、虎はおびえてしまい、宗矩に近づくこともできなかったんだよ。
これには、家光をはじめ一同全員、感嘆の声をあげた。
ところが『宗矩は、まだまだじゃ』と言う老人が現われた。
その人は宗矩の禅の師匠である沢庵禅師だった。
この人がトコトコ、虎のオリの中に入って行ったと思ったら、なんと凶暴な虎は猫のようにおとなしくなり、沢庵禅師になついてしまった!
その光景を見た宗矩は、深く悟るところがあったそうだ」
なぜ、虎は沢庵禅師になついてしまったのでしょうか。
そして、宗矩はいったい何を悟ったのでしょうか。
そこのところを老師にたずねると
「宗矩は1+1=2の世界に、沢庵禅師は1+1=1の世界にいたんだ。
虎を震え上がらせるばかりの闘気をもつ宗矩も、もし自分よりも強い闘気をもつ者と出会ったならば、自分のほうが震え上がってしまい、勝つことはできないだろう。
それは、つねに強い者が勝ち、弱い者が負ける世界なんだ。
その世界にいるかぎり、決して不安から逃れることはできない。
いつ、自分より強い者が現われるともかぎらないからね。
しかし、沢庵禅師のいる1+1=1の世界は、強さ、弱さを超えた世界なのだよ」
と言います。
強さ、弱さを超えた世界といわれても、ちょっと想像がつきませんが、老師が僕に
「たとえば、愛しい恋人との甘い会話を楽しんでいるとき、君のココロは自分から飛び出して、彼女とひとつになっているのではないかな?」
と聞かれるので
「はい。
きっと身も心もフニャフニャに、とろかされていることでしょう」
と、ちょっと照れながら答えました。
老師も笑みを浮かべて
「それこそ、まさに大恋愛の真っ最中ってところだ」
とおっしゃりながら、さらに
「そのとき、君は1+1=1の世界に飛び込んでいるのだよ。
自他に分かれる前の世界、あらゆるものを育む、いのちの世界に飛び込んでいるんだ。
植芝盛平は『合気とは愛気だ』とおっしゃっていたと思うが、それはまさに、自他が融合する世界、
1+1=1の世界、いのちの世界のことを語っているのだよ。
太極拳の世界もいっしょなんだ。
太極拳の太極とは、陰陽と分かれ、1+1=2となる前の世界、1+1=1の世界のことだからね。
相手とひとつになる。
相手に飛び込んでいくんだ。
もし、相手に不信感があったり恐れや心配があったりすれば、自分の殻から飛び出ることはできない。
恋人を愛するような気持ちで相手と接するんだよ」
と、1+1=1の世界について話を続けられます。
しかし、僕のような人間にとっては、それはとてつもなく困難なことです。
武道とは生きるか死ぬかの戦い、まさに食うか食われるかの戦いです。
その状況で、恋人を愛するような気持ちになるというのは、想像することすらむずかしい気がします。
それでも老師は、
「しかし、沢庵禅師は恋人を愛するような気持ちで、虎と接することができたんだ。
すると、虎も気持ちよくなって、沢庵禅師とイチャつくなんて摩詞不思議な事態も発生したわけだ」
と笑っておられます。
それにもかかわらず、虎が立ち向かってきたなら、どうなりますかとたずねると、
「そのとき、沢庵禅師は、いのちの世界とひとつなんだ。
それに立ち向かう虎は、虎自身を生かし続けるいのちに刃向かうことになる。
自分で自分を傷つけることになるのだよ」
と。
そういえば、馬庭念流(まにわねんりゅう)という剣術の流派があって、演武会では15メートル先から放たれて飛んできた矢を、剣で打ち払う術を見せるそうです。
老師の話を聞いていて、その極意を家元が語った本のなかに、こんな言葉があるのを思い出しました。
「相手の矢が弓を離れて飛び出すときに、矢先から目を離さず、その矢の中心に身を入れていく。
絶対に逃げてはならない。
すると即座に、剣で矢を払う動きが正確に身体の中心から出てくる」
そのことを老師に話すと、
「何とも味わい深い言葉じゃないか。
その家元には、いのちに対する絶対なる信頼があるんだね」
とおっしゃいます。
『願わなければ叶う5つの真実』(有野真麻(ありのまあさ) 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
強さ、弱さを超えた世界には恐れも心配もない。――
あるとき、老師は、剣の達人、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と、その禅の師匠、沢庵禅師が虎に対峠したときの話をされました。
「こんな話がある。
3代将軍、徳川家光の時代に、日本に初めて虎が来たんだ。
家光は家来200人を引き連れて虎を見物した。
その場所が現在の虎ノ門だよ。
虎を見ているうちに、家光には、この凶暴な虎と剣の達人である柳生宗矩を対決させたらどうなるか、という興味がわいてきた。
そして、宗矩は虎のオリの中に入ることになったんだ。
ところが、虎のオリの中に入った宗矩は怯える様子もなく、逆にギョロリと虎をにらみつけた。
すると、虎はおびえてしまい、宗矩に近づくこともできなかったんだよ。
これには、家光をはじめ一同全員、感嘆の声をあげた。
ところが『宗矩は、まだまだじゃ』と言う老人が現われた。
その人は宗矩の禅の師匠である沢庵禅師だった。
この人がトコトコ、虎のオリの中に入って行ったと思ったら、なんと凶暴な虎は猫のようにおとなしくなり、沢庵禅師になついてしまった!
その光景を見た宗矩は、深く悟るところがあったそうだ」
なぜ、虎は沢庵禅師になついてしまったのでしょうか。
そして、宗矩はいったい何を悟ったのでしょうか。
そこのところを老師にたずねると
「宗矩は1+1=2の世界に、沢庵禅師は1+1=1の世界にいたんだ。
虎を震え上がらせるばかりの闘気をもつ宗矩も、もし自分よりも強い闘気をもつ者と出会ったならば、自分のほうが震え上がってしまい、勝つことはできないだろう。
それは、つねに強い者が勝ち、弱い者が負ける世界なんだ。
その世界にいるかぎり、決して不安から逃れることはできない。
いつ、自分より強い者が現われるともかぎらないからね。
しかし、沢庵禅師のいる1+1=1の世界は、強さ、弱さを超えた世界なのだよ」
と言います。
強さ、弱さを超えた世界といわれても、ちょっと想像がつきませんが、老師が僕に
「たとえば、愛しい恋人との甘い会話を楽しんでいるとき、君のココロは自分から飛び出して、彼女とひとつになっているのではないかな?」
と聞かれるので
「はい。
きっと身も心もフニャフニャに、とろかされていることでしょう」
と、ちょっと照れながら答えました。
老師も笑みを浮かべて
「それこそ、まさに大恋愛の真っ最中ってところだ」
とおっしゃりながら、さらに
「そのとき、君は1+1=1の世界に飛び込んでいるのだよ。
自他に分かれる前の世界、あらゆるものを育む、いのちの世界に飛び込んでいるんだ。
植芝盛平は『合気とは愛気だ』とおっしゃっていたと思うが、それはまさに、自他が融合する世界、
1+1=1の世界、いのちの世界のことを語っているのだよ。
太極拳の世界もいっしょなんだ。
太極拳の太極とは、陰陽と分かれ、1+1=2となる前の世界、1+1=1の世界のことだからね。
相手とひとつになる。
相手に飛び込んでいくんだ。
もし、相手に不信感があったり恐れや心配があったりすれば、自分の殻から飛び出ることはできない。
恋人を愛するような気持ちで相手と接するんだよ」
と、1+1=1の世界について話を続けられます。
しかし、僕のような人間にとっては、それはとてつもなく困難なことです。
武道とは生きるか死ぬかの戦い、まさに食うか食われるかの戦いです。
その状況で、恋人を愛するような気持ちになるというのは、想像することすらむずかしい気がします。
それでも老師は、
「しかし、沢庵禅師は恋人を愛するような気持ちで、虎と接することができたんだ。
すると、虎も気持ちよくなって、沢庵禅師とイチャつくなんて摩詞不思議な事態も発生したわけだ」
と笑っておられます。
それにもかかわらず、虎が立ち向かってきたなら、どうなりますかとたずねると、
「そのとき、沢庵禅師は、いのちの世界とひとつなんだ。
それに立ち向かう虎は、虎自身を生かし続けるいのちに刃向かうことになる。
自分で自分を傷つけることになるのだよ」
と。
そういえば、馬庭念流(まにわねんりゅう)という剣術の流派があって、演武会では15メートル先から放たれて飛んできた矢を、剣で打ち払う術を見せるそうです。
老師の話を聞いていて、その極意を家元が語った本のなかに、こんな言葉があるのを思い出しました。
「相手の矢が弓を離れて飛び出すときに、矢先から目を離さず、その矢の中心に身を入れていく。
絶対に逃げてはならない。
すると即座に、剣で矢を払う動きが正確に身体の中心から出てくる」
そのことを老師に話すと、
「何とも味わい深い言葉じゃないか。
その家元には、いのちに対する絶対なる信頼があるんだね」
とおっしゃいます。
『願わなければ叶う5つの真実』(有野真麻(ありのまあさ) 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体