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慰めるもの、聖霊

慰めるもの、聖霊

これから向かうクリスマスは、喜びとジレンマという相反する感情をあなた方にもたらす季節のようです。
喜びはその期待感から来るもので、ジレンマはその期待が実らないことによります。
この期待とは、ある日、自分のなかにキリスト意識が生まれるだろうという期待です。

それを楽しみにし、それに向かってあなたはすすみます・・・。
そして、新しく生まれ変わるべきその日に、実は何の変化も起きません。

そこで今日は、贈り物としてずっと昔にあなた方に授けられたものが、何であったかを思いださせてあげたいと思います。
この贈り物が、あなた方の存在の美しさと不可思議のなかで、どのように体現されうるかを、これからお話します。
あなだは孤独ではないのだということ、あなたが求めている新生は、もうすでに起きたのだということを確信していだだくためです。
どうか、この贈り物のことを忘れないでください。

あなた方の古い友人で、イエスという名の人が二千年前に話したことを引用しましょう。
イエスが、自分が物質界をもうすぐ離れるのだと知って、親しい人々に語ったときのことです。
イエスはその偉大な愛ゆえに、何かを残していきたいと思いました。
彼は友人たちに語りかけます。
『そして、私は父なる神に祈ろう。
父なる神は、あなた方にもうひとつの慰めとなるもの、聖霊を与えられ、あなた方とともに永遠におられるだろう。
それは神理の霊であり、世の一般の人々は見ることがないので、受け取ることができず、また知ることもできない。
しかし、神理の霊はあなた方とともにおり、あなた方のなかにいるので、あなた方はそれを知るだろう。
私は、あなた方を慰めるものを残さずして去ることはしない。
しかし、この慰めるもの、聖霊は、私の名において父なる神が送りたもう。
聖霊は、あなた方にすべてを教え、すべてを思いださせてくれるだろう。
心をわずらわすなかれ。
怖れるなかれ。
私は常にあなた方とともにいるのであるから』

こうした言葉に対して、あなた方がとるべき態度には、ふたつの道があるように思えます。
これを語った者が誰であれ、その人は倣慢の極地にあり、自分が話していることを自分でわかっていないのだと思うか、または、その人はここで、父なる神と呼ばれているエネルギーと親密な関係を持っているのだ――そして、その人と神と呼ばれるエネルギーとのあいだで、何らかの交換がおこなわれることになっており、その交換を通して、何か永遠性のあるもの、何か完全に手に届くものが人間のために残されるのだ、ということを信じるかです。

そのとき以来、聖霊は常にあなた方とともにありました。
それを理解するのがむずかしいのは、たぶんあなた方が次のふたつの点で混乱しているからです。
ひとつは、聖霊の感覚であり、もうひとつは、日々の生活における悩みや苦しみやジレンマの存在です。
多くの人々が、「何のために私たちは生きているのか」という率直な質問をします。
聖霊のイメージにピッタリするものについて、それに対する答えはたくさんあります。
そのなかから、ここで話してみたいと思います。

誰かたったひとりの人間が、子供と死に別れるといったような悲劇を経験したあとで、その嘆きの深淵からはいあがって、再び生き生きと生きはじめるたびに、地球界における勇気の水準がそれまでよりも高められます。
ひとりの人間が、肉体的苦痛を人格の気高さとユーモアで耐えしのぶ、そのたびに、この地球界の総合的パワーとすばらしさが増加されます。
ひとりの人間が感情にまかせて怒る代わりに、相手を理解することを選ぶ、そのたびに、地球界が使えるパワーや勇気や知恵の総量を増やすことになります。

人は、人生の一日一日を、何らかのパワーを生みだすために生きており、そのパワーは決して小さなものではありません。
それは、その人自身の人生をはるかに超えたところにまで伸び、多次元宇宙全体に広がり、ほかの人間や存在が必要とするときに、勇気を与えます。
それは、あらゆる人間や存在に自分というものが、もっと大きな存在だと感じさせてくれます。

ある意味では、あなたの役目はできる限りの方法で、人間たちのパワーを高めることだと言えます。
あなた方が日々の生活でなしとげるこうした勇気ある行為――小さな規模であれ、大きな規模であれ――それこそが生きている理由です。
あなた方がここに生きているのは、何かよくわからない完壁さを達成するためではありません。

日々、あなたは人生のすばらしさとパワーを体現化し、気づきを高めるチャンスを与えられており、そうした努力の結果、地球界における総合的体験の波動を現在高めるだけでなく、未来の波動も高めることになります。
人生の一日一日に目的があります。
それは自分の家で、天使が舞い踊るなどというような奇跡的なことでは全くありません。
それは、自分はパワー発生器であり、パワーを発生することによって、ちがいを生みだすことができる、ということを知ることです。

自分が生みだしたちがいが、自分の基準に満たないときに、問題が起こります。
自分のなかにある怖れのために、真実を話せなかったり、自己憐憫を克服できなくて、悲しく思うような場合がそうなのです。
または、ある日のある瞬間、どうしても自分に課した高い精神的基準まで、のぼるだけのエネルギーがないということもあるでしょう。
このようなときにこそ、今お話した贈り物のことを心のそこから受け止めて、考えてほしいと思います。
多くの人にとって、聖霊とは知的概念にすぎません。
言葉を聞いても、自分には関係がないと思ってしまいます。
聖霊はそうした人になかなか達することができず、困っています。
私の定義では、聖霊とは、想像もつかないほどの巨大なエネルギー源で、人間のエネルギー域とつながる電磁域を持っているものです。
あなた方が肉体と呼ぶ物質機構のなかには、細胞のなかに存在する電磁的磁石があり、私たちが聖霊のパワーと呼ぶ電磁域と連結します。
この電磁域を誘発するのは、あなたの意思です。

テレビはたとえ故障していなくても、スイッチを入れない限り何も起きません。
人は自分とテレビとの関係を明確に理解していますから、何も起きなくて当然だと思っています。
そこで私があなた方に望むことは、テレビについてのすばらしい知恵のすべてを、もっと広い次元に応用し、「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは、私の責任です」と宣言することです。
すでに多くの人がこれを実行しており、その人たちには感謝しています。
私が感謝するのは、あなた方に幸せであってほしいからだけでなく、誰かがそうするたびに、その人のまわりの人だけでなく、遠くにいる人々をも助けることになるからです。

世の中に尽くしたいと願っている人がいますが、その人たちは、自分が何か非常に高尚なことをしなければならない、というイメージを抱いています。
けれども、私が言う奉仕者とは、日々の生活のなかで意識的にスイッチを入れ、電磁流がとぎれないようにする人のことです。

そして、聖霊とは何を意味するかを思いだせば、聖霊とつながることができることを知っており、そうすることで、自分のまわりのエネルギー域が異なったパワーを帯びることを知っている人です。
そうなると、その人の人生は外側からではなく、内側から変化しはじめます。

あなた方のなかにはどうしょうもなく退屈している人がいます。
パワーを増し、エネルギーを増せば退屈は簡単に克服できます。
ほとんどの場合、人は外の世界に出かけていってエネルギーの関係を変えることでこれを達成します。
つまり、仕事を変えたり、恋人を変えたり、車を変えたりします。
それもけっこうです。
けれどもそれにはお金がかかったりするので、もっと身近なところでできる方法を提案しましょう。

退屈しているときに人が本当に望んでいるのは、人生を今までとちがうように感じたい、ダイナミックな意識を感じ、パワーの広がりを感じたい、生き生きと感じたいということです。
自分のなかで命のエネルギーが力強く流れ、動くのを感じており、自分がそのとき何をしているかに関係なく、その感覚だけで充足感を感じる――そうありたいということです。
それがつまり、聖霊を思いだすためのスイッチを入れるという意味です。

最初はなかなかむずかしく、何も起こらないので、人はすぐあきらめてしまって、二度とスイッチを入れようとしません。
キリストをはじめ多くの師は、「根気よく努力すれば、聖霊を感じるようになる」という点で同意見です。
考えるのではなく、感じるのです、知るのです。
聖霊が動きはじめ、あなたのなかに存在するようになります。
その選択はいつもあなたにあります。
ちがう次元の意識から来て、許可なくあなたの電磁域に押し入ることは、個人の尊厳の侵害であり、許されないことだからです。

ですから、聖霊をこれまでの型にはまった物体として考えるのをやめて、エネルギーとして考えれば、人々がそれに対して持っている先入観にじゃまされずにすみます。
形のあるものだと言ったら、そのとたん、問題が起きます。
人間はみな形を持っており、形について人間が知っていることのひとつは、形のあるものは自分を好きになったり、嫌いになったりするということです。
つまり、相手に気に入られたり、嫌われたりするということです。
自分を愛してくれたり、自分を捨てたりするということです。
人間にとって形のあるものは、予測不可能なものです。
ですから、「形」のあるものを考えるときに、一種の抵抗があなたのなかに生まれます。
ただし、意識的におこなわれるわけではありません。

あなたの意識に浮かび上がってくるのは、形のあるものに失望させられた数々の思い出です。
あなたの心は何度も何度も傷つけられたために、心に壁ができています。
ですから、私が聖霊について思いをめぐらせてくださいと言うときには、形を考えずに、ただその存在を認めてください。
山の上を流れ動く雲をながめるときのように、何かはわからないが、何かが雲を動かしていることを認め、その動きをただながめ、動きがあること、動かしていること、雲を引きちぎっていることを、そのまま認めるようにしてください。
まわりの世界の自然さを見つめてください。
自然はあなたの意識を最も直接的に反映する鏡として、あなたに語りかけています。

人間は、自然界のなかでゆったりくつろぐことから、ずいぶんかけ離れた生き方をしています。
魂を激しく燃えたたせるもののひとつに、自分のまわりの自然すべてとの関係を知り、それを感じることがあります。
毎日太陽が昇るのを見ることに、どんな意味があるのでしょうか。
雲をながめ、それを動かす力を感じるとき、風が自分を運び、何か新しい形に作り上げているのを感じるとき、あなたの深層心理のなかにひそむ心象風景が浮かび上がってきます。
このような出来事は、あなたの理性のとどかない、あなたのなかの深い意識に語りかけてきます。

休みに旅行に出かけて楽しいのは、お酒を飲んだり、スキーをしたりしたからだと信じている人がいます。
本当は、喜びがわき上がってくるのは、自分と風がともにあり、雪がそこにあり、自然がそこにあるからで、それらのすべてが、地球界での転生の旅を始めたとき以来、自分が意識の奥底に抱えてきた心の風景を、思いださせてくれるからです。
その瞬間を体中で感じることによって、「大いなるパワー」、「大いなる愛」。「大いなる命」――あなた方が神と呼ぶものを感じるからです。
こうした自然のシンボルは、あなたのなかに生きているので、それを思いださせてくれるものとともにあるときには、自分の内なるパワーを自覚できるのです。
海辺で太陽をあび、小麦色に肌を焼いたから、思いだすのではなく、自分の肌の下に広がる砂の感触、潮騒、太陽の不可思議で、絶大なるパワーなどを感じることにより、それらのすべてと自分とのつながりを思いだすのです。

あなた方は非常に文明化しました。
文明が発達する過程で生じる問題点のひとつは、自然の否定ということです。
文明と自然は分離されなくてもいいのです。
これらふたつのすばらしい結婚も可能です。
クリスマスの日の午後、もしも憂鬱な気分になったなら、テレビの前から腰をあげて外に出て、生きるとはどういうことかを感じてみてください。
心を開き、耳をすませ、においをかぎ、感覚をとぎすまし、元気いっぱいになり、他人のなかに入っていき、人と分かちあい、自分を与えてください。
自分には生きる目的があり、神は存在し、自分はこのままでよいのだ、と感じさせてくれるイメージ・・・心のなかにひそむ、そうしたイメージを燃え上がらせてください。
自分の心のなかのこうしたイメージを思いださせてくれる外界の刺激は、魂を目覚めさせ、その人の人生を変えてしまうことがあります。
テレビの前にただすわっているだけでは、そうした変化は起きません。
たとえ、あなたの応援するチームが勝ったとしてもです。

このように、あなたが自分の殻から抜けでて、宇宙の大きな腕のなかに飛びこんでいくことによって、あなたは聖霊のにおいをかぎ、その音を聴き、それを感じ、体験することができます。
あなたがしなければならないのは、自分の心を開き、すべてを感じるようにすることだけです。

苦しみで心がちぢこまっていると、感じることがなかなかできません。
けれども、宇宙の無限の広がりのなかに出ると、心の鎧をぬいで、安心して感じることができるようになります。

どこか出かける場所を選んでください。
ただ、その場合、
「ありのままの自分をさらけだしても、大丈夫なことを確かめたうえでこの場所を選んだ。
そのくらい私は自分を大切にしている」
と自分に言えるだけの心づかいをして、行き先を選んでください。
そうして、ありのままの自分でいるときに自分のなかを通りぬける感覚が、聖霊であることを自覚してください。

聖霊はエネルギーの渦で、あなたが感じたいと思った瞬間、現れます。
感じたいという気もちが、聖霊とあなたが合流するための一連の動きを作動させます。
寂しくなったり、不安になったり、元気づけてくれるものが欲しくなったら、聖霊のことを考えてください。
そうすると、電磁波であなたは聖霊と連結できます。

目には見えない、物質を超えた世界とつながるきっかけは、自分自身で創るのだということがわかると、人生の悩みや苦しみや悲しみから解放される糸口となります。
人間は、肉体の感覚によって生かされているのではないのに、あなた方は、それらの感覚器官から送られてくるデータによって生きていると思いこんでいます。
ほんの少しのあいだだけでも、どうか人間を新しい視点で見てください。
人間とは、すばらしく美しいパワーを持った宇宙意識のひとつであり、宇宙のあらゆるものを生んだ「大いなる源」を、二度も離れたことのない存在であるということをわかってください。

あなた方は、「大いなる源」とともに、人間意識として物質界に現れることを選んだのです。
そして、そのときの「大いなる源」との接点を、その後一度も離れたことはありません。
その接点は常にあなた方とともにあります。
その接点は失われてもいないし、隠れてもいません。
その接点は、意識の目覚めを通して、作動させられなければならないだけです。
それはつまり、自分の内奥に意識を向け、聖霊を感じることを意識的に選ぶということです。

あなた方が聖霊を生みだすことはできません。
それはもうすでに存在しています。
聖霊があなた方にすべてのことを教えてくれるだろう、とイエスは言いました。
その教えは常にさずけられています。
あなたの中でも外でも、それは常になされています。
残念ながら、ほとんどの場合、あなたはその教えを正しい周波数で聴いていません。
けれども、人間はテレビでもなく、ラジオでもないので、異なる周波数で流れる情報を受け取り、肉体のなかで同時に吸収する能力を持っています。

多くの人が肉体というものを軽蔑していますが、あなた方の肉体は、入ってくる情報を聴き、受け取り、混ぜ合わせるというすばらしい能力をそなえています。
本屋で本を選ぶときのように、あなたは自分が何を経験するのか選択しています。
本を選ぶときは、きちんと意識して選んでいるはずです。
それと同じように、はっきりと意識して、各瞬間ごとの内なる選択をおこなってください。
苦悩のさなかにあるときには、立ち止まってこう言うのです。
「聖霊の持つ信じられないほどの心の平安を、今、感じさせてください」
不安を感じたら、
「聖霊の持つ平和を、今、感じさせてください」
と静かに言うのです。
そう望むことが引き金となります。

多くの人が、人生のある時期、ひとりで生きることを選びます。
そうしたことがよかったと思って、それを最大限に生かすことを選ぶ人もいれば、なぜそうなったかと悔やみ、どうしたら孤独から抜けでられるかと悩み、不満をもらすことに多くの時間をついやす人もいます。
他人と深く変わらぬ愛情関係を持つのがあなたの運命ならば、いずれその相手は現れます。
たとえ、あなたが僧院の奥深くに隠れていようとも、誰かが、ドアをノックし、あなたはドアを開ける必要を感じ、その相手との関係が生まれます。
その反対に、あなたの人生における今の時期に学ぶべきことが、自分をはぐくみ、満足させ、力づける感覚を自分の肉体のなかに生みだす方法を発見することであったなら、ひとりで生きることになります。
自分の人生に起こることが、何らかの意味と目的を持っていることを信頼してください。
自分自身の人生のパワーを信頼しない人は、
「自分は運が悪い。
何かがまちがってしまった。
何かが狂ってしまった。
誰かがじゃました。
自分はこのみじめな人生から抜けだせない」
と感じてしまいます。
けれども、あなたの人生に起こることはすべて、あなた自身の書いた設計図通りにちゃんと起こっているのです。

前にも言ったように、あなたがこの地球界に転生してくるときには、自分の運命がどのように展開していくかという設計図を持って生まれてきています。
その設計図は膨大な内容を持ち、変更可能であり、直接知ることができるという性質を持っています。
たとえば、あなたが中国へ旅行しようと思ったら、少なくとも、どうやってそこへ行ったらいいか調べ、どこに行きたいか決め、旅行に必要な品物をもっていくでしょう。
それなら、地球界に転生して冒険旅行をしようというときに、同じように準備をするだけの知恵を、自分たちは持っていて当然だとは思いませんか。
自分には物質界で得られる知恵しかない、と心から信じているのですか。

叡智は時間や空間や肉体に関係なく作用しています。人間は自分がどこへ行くのか、どんな体験をするのかをあらかじめ知ることなく、四十年、五十年、あるいは八十年も地球界ですごすことを選んだりはしない、ということを信じてください。
宇宙に法則性があることを認めるのであれば、広大な意識と制約に満ちた肉体を持つ人間が、地球界での人生を、自分の全体性を取り戻すためだけではなく、地球という惑星の全体性を取り戻すために使うということも、当然認められるのではないでしょうか。

あなたの人生の本質的な部分では偶然はありません。
どんな車を買うかなどというたぐいのことではなく、地球界に転生する前に、自分でバランスと調和と優雅さをもってデザインした、あなたの人生を方向づけるような出来事のことを言っているのです。
あなたが自分で計画したのであれば、あなたの人生に役に立つはずだし、どんな意味であれ、あなたを強くしてくれるものであるはずです。
そうした可能性に心を開くことが、内なる理解を生みだします。
それが何であれ、あなたにとって意味のあるものが、あなたの心の目を開いてくれます。

心の目を通した理解は、あなたに勇気を与えてくれます。
自分の計画が賢明であったこと、計画したことが何であれ、それぞ実行することは意味がある、と認める勇気を与えてくれます。あなたの内なる目が、ほかの何よりもあなたを導いてくれます。自分の人生の毎日が、絶対的意味と目的を持っていることを確信させてくれます。
人生の一日一日が目的を持っているのだということを忘れると、絶望したり、憂欝になったりします。
自分にパワーを与えてくれ、真理の道へ向かわせるもの――愛、ユーモア、内なる目、すべてを受け入れること、勇気、自己規律、叡智などを自分の生活に生かせば生かすほど、自分のなかに強力なエネルギー域を築くことになり、翌日にはもっと勇気を持てるようになります。
そうすることによって、自分のまわりに電磁流が生まれ、その影響で、まわりの人も以前より大胆で、勇気ある行動をとりやすくなります。
そして、その人たちが、今度は、その人たちのまわりの人の人生に影響を与えるようになります。
こういう生き方を選ぶと、自分の人生のあらゆるものが変わりはじめます。
こうして、その人の意識がますます高められていきます。

これまで多くの師が、それぞれの理論や修行法を教えてきましたが、それは、自分の方法がほかの方法より神聖だからということではなく、何とかしてあなた方が真理を思いだすよう、あの手この手を使ったということにすぎません。
そんなにいろいろな方法があるというのはおかしいと思うでしょう?
でも、それら流派のちがいの下に横たわるのは、あなたとあなたの求めているものとのあいだに電流が流れるように、スイッチを入れることを思いだしてほしいという願いなのです。

あなたを支えてくれる愛に満ちたエネルギーは、いつもあなたのまわりに存在してきました。
あなたが深い絶望のさなかにあって泣き叫んでいるときでさえ、あなたが求めているものは、あなたを包みこんでくれています。
けれども、人はそれをつかむ代わりに、まさにその瞬間、すべての動きを止めてしまいます。
肉体も感情も、すべてが凍りついてしまいます。
これ以上の苦しみには耐えられないと怖れて、身動きしません。
もうよくなった、痛みがなくなったというときは、その人の心がリラックスしはじめたということです。
凍りついているときには、触れることのできなかった内なるイメージが、しだいにゆっくりととけて、姿を現してきます。
それらのイメージが心の奥深くて、「安心していいよ。人生を信頼してもいいんだよ」と語りかけます。
そうすると、少しずつ、日毎にときには年毎に、人生に対する信頼が甦ってきます。
人生の全過程を信頼してもいいのだ、と思わせてくれるイメージが、あなたの意識の奥深くに埋めこまれています。
ですから、大きな悩みにぶつかった人やこれからぶつかる人は、おぼえていてください。
あなたはまず凍りついたようになり、それから、少しずつゆっくりととけはじめます。
自分の内なるイメージを受け入れられるようになるにしたがって、それらが姿を現してきます。

愛する人が苦しんでいるときには、その人を自分の温かさと思いやりの気持ちのなかに包みこんであげてください。
そうすると解凍が早くなります。

言葉は何の助けにもなりません。
エネルギーだけが唯一の贈り物であり、誰でもが受け取ることのできる贈り物です。
苦しんでいる人にあなたのエネルギーを与え、その人が自分の凍った態度をとかすのに、使えるようにしてあげてください。
願望さえ強ければ、自分のまわりに常にある「大いなる命」つまり聖霊との深くて親密な関係を持てない人はいません。

なぜあなた方に聖霊のことを考えてほしいかというと、こういうことです。
聖霊は特定の任務を持っています。
あなたが人生に特定の目的を持っているのと同じように、このエネルギーの渦も特定のはっきりした目的を持っています。
ですから、あなたが聖霊の持つ任務を果たすように願えば、あなたと聖霊との共同作業が一瞬にして可能になります。
そして、人生のあらゆる意識された瞬間において、このエネルギーとつながる方法があり、それを達成した人が目覚めた者と呼ばれます。
彼らは光のスイッチを入れた者です。
目覚めた者とあなたとの唯一のちがいは、目覚めた者は、自分の人生を直接的に高めてくれるエネルギーの渦が、本当にあると信じたという点です。
そして、それに賭けたのです。

とにかくやってみないと、誰も悟りを開くことはできません。
証明されるまで待っていると、いつまでも、待つことになるでしょう。
とにかくやってみなければ、はじまりません。
リスクをおかしてください。

では、一年間、毎日できるだけ多くの時間、このことを「おぼえている」努力をしたら、何が起こるでしょうか。
これはまさに神をおもしろがらせるたぐいの質問です。
つまり、それが真実かどうかチャレンジする――というわけです。

私がウソを言っているとしたらどうしますか。
その可能性もあります。
聖霊の存在を証明するものが、あなたの人生に起こればいいと、私も思います。
あなたがリスクをおかして実行すれば、それが起きるのですが・・・。
あなたは、リスクをおかす勇気を得るために、本をたくさん読みます。
けれども、何百冊という本を読みながら、イザそれを実行に移すときが来ると、「大いなる光」への道があまりにもありすぎて、どうしていいかわからなくなってしまうのが実情です。

もっと簡単な方法を試してみてください。
自分の心の奥深くに静かに入っていき、自分は愛と平和とパワーを感じる用意ができた、リスクをおかす心の準備ができたと認めるのです。
何もないとしたらどうなるか・・・と考えると、リスクは大きいといえます。
そこにあるのは、ただエゴがエゴの反応のなかを動きまわっているだけだとしたら、原初から未来永劫までそれだけだとしたら、どうしましょう?
そして、最後に行きつくリスクは、現在のあなたが経験しているものよりすばらしいものは、何も存在しないという可能性に直面する勇気があるかどうか・・・ということです。

あなた方が神と呼ぶパワーが実際に存在し、それがあなたのところにやってきて、あなたを教え、あなたを導き、あなたを愛し、あなたを抱きしめてくれるというのは、全く疑いもない事実です。
そうしたパワーは実在するのです。
あなただって、それが本当だと知っているはずです。
そうでなければ、こんな話を聞くことに、みすみす貴重な時聞をついやしたりしないはずです。
あなた方は、飛びこみ台の端まで走ってきながら、そこでためらっている飛びこみ選手のようなものです。
飛びこみ選手は、水が確かに下にあり、自分が飛びこめることも知っているのですが、ただ、ちょうどよいタイミングを待っているのです。
それと同じように、あなた方は、日曜日にここに来て私の話を聞き、それぞれ家へ帰って、自分の日常生活に戻るということをくり返し、そして、ある日ある瞬間、ついに自分のなかの必要なエネルギーがすべて集まり、飛びこむのです。
ですから、あなた方が自分のときが来るのを待っているあいだ、私もみなさんと一緒にプラプラしていましょう。

そこで、今度は私の側から、「大いなる光」についての真実を語りたいと思いますので、どうかよく聞いてください。
あなた方は、「この地球界は宇宙でいえば、幼稚園のようなもので、人間は子供のようなものである。
そして人間は、宇宙のほかの存在ほど広大な力を持ったものではない」
と教えられてきました。
そこで、ここでは私自身の見解を話したいと思います。

人間は、創造された宇宙のなかで、最もむずかしい任務を引き受けました。
その任務とは、創造された宇宙のなかで、最も重くて、暗いエネルギーに満ちている惑星の上で、あなた方が神と呼ぶ最も軽くて、最もつかみどころのないエネルギーの渦を感じることです。
私から見ると、これはとても勇気のいることです。

神は、創造された宇宙のすべての部分で、神の存在が感じられるようにしなければならない、と感じています。
ですから、人間の姿を選び、地球の重くて、暗いエネルギーのなかにあって、勇敢に悟りの境地をめざし、つかみどころのない「大いなるパワー」を直接感じようとするあなた方の努力は、本当に賞賛に値するものです。

あなた方が地球界で試みているこのような実験に対して、言い訳をする必要はありません。
あなた方の任務ははっきりしています。
地球界に来たとき、あなた方にはそれがわかっていました。
この地球の暗くて、重いエネルギーのなかで、神なるエネルギーをあなたが感じると、あなたはそのまわりのパワーを高めることになります。
地球は進化の過程にあり、誰かが神とそのパワーを感じるたびに、そのぶんだけ、ほかの人間や存在が同じ経験をするつながり、可能性を増やすことになります。
真実のところこれは、この創造宇宙のなかでも最も勇気のいる実験で、あなた方はそれを実行しているのだ、ということを正しく評価してほしいと思います。

神なるものは、創造された宇宙のすべての部分で感じられなくてはならず、それを感じることが、あなた方のやるべきことです。
そして私は、あなた方の努力に感謝したいと思います。

なぜなら私は、自分の意識のおよぶ範囲内でいろいろな世界に旅をしていて、ほかのさまざまな世界で、それぞれの存在が努力をしているのを見る機会があるのですが、地球界ほど勇気を必要とする世界を、私はほかに知りません。
地球界において、神なるパワーがこういう形で表現されていることは、創造された宇宙のすべてで高く評価されています。

ですから、地球界での任務はとてもむずかしく、それに挑戦しているあなた方の努力は評価されているのだ、ということを忘れないでください。
あなた方が安易な任務を選ばなかったことに、心から敬意を表します。
あなた方の努力は実っています。
うまくいっています。
それを知っておいてください。
あなた方に感謝します。
どうもありがとう。


『バーソロミュー
  ―大いなる叡智が語る愛と覚醒(めざめ)のメッセージ』
    (バーソロミュー 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

精神世界ランキング
 ↑誰も押さない?
押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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