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ソウル・グループ

この宇宙は慈愛に満ちた世界だということを忘れないでください。
宇宙はあなたの味方です。
自分の不調和に満ちた世界にとどまらず、宇宙の調和とともに生きることを決心した人には大宇宙のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。
宇宙は、あなたが孤独な殻に閉じこもっていることを望んではいません。
宇宙は、あなたが創造のパートナーとなることを望んでいます。

         バーソロミュー

―――――

ソウル・グループ

今日の質問は、人間として地球界に転生してくるとき、細胞体が集まって内臓器官や身体の組織を作るように、魂がグループでかたまって転生してくるという傾向があるかどうかということです。

地球界では、ある人には何となく惹かれるが、ほかの人には惹かれないということがよくあります。
人間として生きる目的のひとつは、自分を完全にしてくれるもうひとりの人間、ソウルメイト(魂の伴侶)を探すことだと思っている人もいます。

残念ながら、これには成功の可能性はあまりありません。
なぜなら、何十億もの人のなかから一生かかってこの特別な人を探しださなければならないだけでなく、たとえ探しだせたとしても、その人が去っていったり死んだりしたら不幸になってしまう、という筋書きを自分で書くようなものだからです。

人はソウル・グループと呼べるものとともに地球界に転生してくる―これは事実です。
厳密にいうと、ソウル・グループなどというものはないのですが、ここでは便宜上そういうことにしておきます。
これはどういうことかと言いますと、一千個から一万個(ここでは数はあまり問題ではありません)の魂がひとつのエネルギーの渦巻きとなって地球にやってきます。
このエネルギーの渦が地球界に入ると、それが個々の人間となり、それぞれの人生を生きていくのです。

同じグループにあっても、魂のそれぞれが真理を学んでいくスピードには差があります。
地球界の幻影である物質世界の魅力のとりことなってしまう魂もいれば、この幻影を早く終わらせたいと思う魂もいます。
釈迦牟尼のひざ元で学んだにもかかわらず、まだ人間稼業をつづけている魂もいます。

いったいなぜなのでしょうか。
それはやっぱり人間稼業がおもしろいからです。
しかしその一方では、つらく苦しい人生を選んできてしまって、「もうこんな人生はごめんだ。今すぐこの幻影から覚めたい」と望む人もいます。

何回も転生をつづけるにあたって、自分のソウル・グループと一緒に生きることを選ぶときもあれば、グループから離れてひとりで生きることを選ぶときもあります。

自分にチャレンジを与える困難な人生を前もって選んできた場合は、自分を愛し支えてくれるような人に囲まれることはあまりありません。
とてもいい人なのに愛する人に恵まれない人がいます。
チャレンジに満ちた人生を選ぶときは、自分を支えてくれるような人々から自分を切り離すことも、同時に選ぶからです。

究極のところ、心の支えが得られる唯一の場所は「心の内なる神」なのです。
愛する人々と何度も一緒の転生を経験した魂は、そうしてともに生きることが幸せをもたらすということを学びます。
あんまり幸せすぎて眠ってしまった人もいますが、それもけっこうです。
誰だってたまには休みたくなりますし、ハワイやバハマで遊ぶような楽しい生まれ変わりの人生を送るのもいいことです。
けれども、ときには、樹木も生えないロシア平原のように荒涼とした寂しい人生も送らなければならないのです。

目に見えない世界には、地球界のすべての人に援助の子をさしのべる驚くほどの量のパワーが常に存在しています。
肉体を持っていない魂の役目のひとつは、肉体を持って転生した魂たちが真理に目覚めるよう導いたり、愛と心の支えを与えたり、必要とあらば、ショック療法の機会を作ったりすることです。
何かにかり立てられる思いがしたり、何かの予感がしたり、直感的に急に物事が理解できたりといった、すばらしい直感のひらめきは、霊界の友人たちからのメッセージということもあります。

なぜ私がこのようなことをわざわざ言うかといいますと、大変残念なことに、人間は、自分が孤独だと感じ、神などというのはどこか遠くにいて、とても自分には直接話せる存在ではない、と思いこんでいるからです。
友人ということでしたら、もう少し身近に感じるのではないでしょうか。
ですから、私がソウル・グループの話をするのは、人が全くひとりぼっちだと感じるときに、神のほかにも頼れる存在があることを知ってほしいからです。

この存在はずっと身近にいます。
どこかはるかかなたにいる神しか自分を助けられないと思うのはやめてください。
そんな神を求めると、人は長いあいだ絶望のなかで孤独に生きることになります。

人間の頭のなかでは神と友人とは全くちがう存在です。
友人は単なる友人だけれども、神は怖れ多くて、遠くにあり、とても近づきがたく、非常にあれこれうるさい存在だと思っています。
でも本当のところ、あれこれうるさく言うのは、あなた方人間のほうで、神ではないのです。

神は、人間が何をしようが、何を考えていようが、何を言おうが、全く気にしません。
なぜなら、神は人間がどんな存在であるのかをちゃんと知ってるし、あなたが地球界でどんな人生、ドラマを演じることにしようとも、あなたの本来の姿は変わらないことをちゃんと知っているのですから。
神は、あなたが人間の姿をしているときも、していないときも、あなたの本来の姿を知っています。

ところで、自分の今までの友人関係について不思議に思っている人も多いでしょう。
自分のまわりの人を見まわしてみると、自分と非常にちがったタイプなのに親しい人たちもいれば、自分と似ているタイプなのにべつに親しくならないということもあります。
また、ある人たちとのあいだでは、問題があれこれ起きるにもかかわらず、そのたびに解決してうまくつき合いがつづくのに、ほかの人とのあいだでは、いい人たちなのに、何かしらうまくいかないという経験があるでしょう。

自分と同じソウル・グループの人間とのコミュニケーションはうまくいくのです。
常に楽しいことばかりとは限りませんが・・・。
友人であれ、親子や夫婦であれ、何でも話せるいい関係にある相手とは、同じソウル・グループのメンバーだと思ってまちがいありません。
同じメンバーどうしはお互いをとてもよくわかっているので、コミュニケーションが楽におこなえるのです。

けれども、ときには同じソウル・グループの人間関係でも、むずかしい場合があります。
そういう関係では、自分のなかの、優しさも思いやりもない部分を表面化するような出来事が起きつづけます。
こうした、あまり見たくない面こそ、自分で意識して受け入れなければならない面であることを、ソウル・グループは知っているのです。

各メンバーが、よくない面も含めた自分のすべてを受け入れてはじめて、ソウル・グループ全体が一緒になって「大いなる自由」の境地へと移行できるからです。

それはまるでソウル・グループの各メンバーとあらかじめ約束をしてきたかのようです。
「私が眠ってしまったら、起こしてね」
「わかった。じゃ、僕が眠ったら、君が起こしてくれるんだよ」
というぐあいに。
こうしで目覚めた人は、人間として自分はすべての面を自分のなかに持っていたのだということに気づきます。

人生はプラスの面もマイナスの面もともにそなえているし、これからもその事実は変わらないだろう、ということは何度もこれまでにお話しました。
あなた方は、この両極のどちらにもとどまることのないようにすべきです。

この宇宙を構成する基本要素はエネルギーです。
エネルギーは常に動いているので、ひとつの極にとどまろうとすると、動きがないということから大きな痛みが生まれるのです。
人生のプラスの極を離れてマイナスの極へと向かいだすと、いろんな困難が生じてきます。
すると、人はすぐに尋ねます。
「私はいったいどこでまちがったのだろうか」と。

空高く投げたボールに向かってそんな質問をする人がいるでしょうか。
ボールに向かって、「空高く飛んでいったのはよいが、落ちてくるのは悪い」と言うでしょうか。
もちろん、そんなことを言う人はいません。
投げられたボールは落ちてくるというのは誰でも知っています。
むしろ、ボールが落ちてこなかったら、「どうしたんだ」と人は不思議がるでしょう。

ところが、自分の人生となると、人は、上から下へ、または、ひとつの極からもうひとつの極への自然な動きを認めようとしないのです。
こういう態度の裏にあるのは、子供時代からの習性です。
「いったいどうしたの」という親の質問に、子供が「わからない。何だか悲しくて、寂しくてこわい」と言えば、親はすぐ「とにかくゴロゴロしてないで何かしなさい。気分が晴れるから」と言います。
または、「テレビでも見たらどEうだ?気がまぎれるぞ」とか、
「ケーキでも食べる?元気が出るわよ」というぐあいです。

こういうときに、
「悲しかったり、寂しかったり、こわくなったりしてもいいのよ。
そういう気持ちを理解して、それとひとつになることもできるのよ。
そういういろいろな感情をすべて持っても大丈夫なくらい、あなたは強いのよ」
とは、どの親も言ってくれません。

人間はプラスとマイナスの両極を持てるだけの力があります。
人間自体がプラスとマイナスの両極であり、かつ、それ以上のものを持つ存在だからです。
人が不幸でみじめになるのは、かたくなになり、苦しみというエネルギーの動きを認めようとしないときです。
こうしたかたくなな態度はよく見られます。
こういうときこそがお互いを助け合えるのですが、誰もしません。

誰かのきげんが悪いときは、まわりの人は多くの場合それを変えようとします。
自分にとって都合が悪いからです。
これは、きげんの悪い人に向かって、この世で人とうまくやっていくには、ほがらかで明るく、思いやりのある人間にならなければならない、と言うことと同じです。
自分のきげんが悪いときは、ひとりでいるべきだと思っていると、ますますみじめに感じます。
人からよく思われるためには、ニコニコして明るくしていなければならない、と思いこんでいるので、みじめな気持ちでいるときにも、元気なふりをしてしまいます。
そしてまだ小さいうちから、人は表向きの顔を作ることをおぼえます。

こうしたジレンマから逃れるには、勇気をもって自分のなかのマイナスの極の感情に向き合い、それをじっくり感じることです。
自分のなかでいったい何が起きているのか、はっきりと知ることです。
自分のことを精神性の高いスピリチュアルな人間だと思い、常に肯定的な態度を持って生きていく力があると思っている人に対しては、「自分が転生してきたこの世の中を見わたしてごらんなさい」と私は言いたいと思います。

地球は二極分化の世界です。
地球以外のところでは、必ずしもすべてが二極に分かれているわけではありません。
二極分化は地球の基本的な性格です。
このことを理解するまで、人間は二極分化の世界を自由に生きていくことはできません。
これは人間の本質の一部でもあり、すばらしいことです。
ネネルギーが自然に流れているときには、幸せから憂鬱へと変化するのはすばらしいことです。
けれども、エネルギーが流れていないときは、人が感じた怖れは肉体の一部となり、肉体がかたく、こわばって収縮してしまいます。
リューマチなどの関節炎の原因は何かというと、エネルギーの流れに対する怖れなのです。
怖れを感じて、「動いてはいけない」と自分の体に言いきかすと、体はちゃんと動かなくなります。
ですから、注意が必要です。
自分が感じていることを、体はその通りに実現してくれます。

自分自身に対して、自分について、正直であるようにしてください。
自分というものの肯定的な面も否定的な面も、両方とも素直に見てください。
人間というものは肯定的な面と否定的な面の二極からなる、二極分化の存在であることを理解してください。

世の中のすべてのことに、この二極性を認める必要があります。
人生でどんなことが起こっても、人はそれに対処する能力を持ちあわせています。
自分にそんな能力があると思えない人は、自分自身をきちんと見すえていないからです。
たとえあなたが肯定的な極にとどまって、「高徳な人」でいようとしても、振り子は必ずもう一方の極に戻ろうとするのです。

悟りを開いた人が高徳であることはとてもまれです。
むしろ、悟りを開いた人というのは、良識からはずれた変わり者のことが多く、きちがいと思われたりします。

なぜ悟りを開いた人がきちがいに見えたりするのかというと、悟りを開いた人は、自分の心のおもむくままに行動し、まわりの人の反応にこだわらないからです。
人間そのものになりきる能力を持っているのです。

自分が悟りの境地にどれくらい近づいたかどうか、次のように自問するとわかります。
「どういう状況にあっても、他人がどう思おうとも、私は自分のまわりの人間に好き勝手な行動をさせているだろうか?」

悟りというのは、すべてはただ「ひとつ」であるということを理解することにほかなりません。
ここでは、善とか悪とかは何の意味も持ちません。
自分のほうがすぐれているとか自分のほうが精神性が高いからといって、まわりの人間を拒否する人は、「大いなる一」(すべてであり唯一である存在)の一部から自分を切り離しているのです。
まわりの人も、出来事も、自分の一部であることを認め、受け入れることができますか。

あなたは「高徳」な人格からぬけだして、怒ったり、いきどおったり、やきもちをやいたり、そのほかの醜い感情を感じることができますか。
成熟した存在というのは、自分のなかにあらゆる感情エネルギーの引力を感じとりながら、特定の感情エネルギーにしたがうかどうかの選択ができる人です。
そこに選択肢を見ることができる人です。

何かに怒る、などという否定的な反応をすることができないという人は、人生を生きていないと私は断言します。
そういう人は、まやかしの人生観を持つことによって、自分のエネルギーがずいぶん失われていることがわかっていないのです。
自分はこうあらねばならないとか、こうしてはいけないとか、こういう生き方しかしてはいけないと言ったりすると、その人の命は止まってしまいます。
肉体は時間と空間のなかを動いているかもしれませんが、その人のエネルギーは止まり、エネルギーの流れを感じることができなくなってしまいます。
どんな感情も起こらなくなります。

その人が自分のなかの振り子が左右にゆれるのを受け入れたときに、ようやくその状態から抜けだせるのです。

両極のあいだを、自由に行ったり来たりできるようになると、人生のすばらしさはまさにその動きそのものにある、ということがわかります。

人生の喜びやすばらしさやパワーは、人生の出来事によってもたらされるものではありません。
人生に起こるさまざまなこと、すべての動きのなかに、移り変わりのなかに、一瞬として同じではないその変化のなかにこそ、人生のすばらしさがあるのです。
感動と驚きに満ちた命のダンスのなかに、喜びはあります。

あなたに友人がいるのなら、その人たちがありのままの自分を出せるように接してあげてください。
自分に対してよき友人であろうという人は、自分がありのままの自分でいられるようにしてください。

どんな人でも、本当の自分はどんな人間かを知ることができます。
本当の自分を素直に生きることができるまで、心の平安はおとずれません。
それ以外のことはすべて、他人に見せるためだけの「お芝居」です。
本当の自分になるのに、遅すぎるということはありません。

まず、自分のことに関して自分にウソをつかない、今まで見ないふりをしてきた問題に対して正直に取り組む、ということから始めてください。
自分のなかにためらいや怖れを感じるときは、解決すべき問題がそこにあるのだと思ってください。
そういうときは、自分が何を怖れているのかを見つけだす必要があります。
怖れを抱くのは、ありのままの自分を出していないからです。

人が怖れを感じるのは、必要とするものを自分は持っていないのではないかと感じたり、持っているものを失うのではないかと感じるときです。
何かを失うのではないかと怖れる必要は全くありません。
人間はみな、必要なものすべてを持っているのですから。

このことを、今度はソウル・グループという観点から、話してみたいと思います。
グループができたときに、グループとしての能力のひとつに、テレパシーでコミュニケーションができるということがありました。
このような能力をみんなが持っているので、グループのメンバーが肉体を離れても、その人を失ったことにはなりません。
グループのメンバーが死んでも、親しい間柄であれば、死んだ人とのあいだのコミュニケーションはテレパシーを通じてつづいているので、本当に死んでしまったとは思えない気がします。
もちろん、その人がこの世からいなくなったのは事実なのですが、その人がまだ存在しているという気持ちがたしかにするのです。

グループの各メンバーは、地球界でそれぞれ異なった人生を生きているので、グループ全体を合わせると、あらゆる経験をしたことになります。
たとえば、病気になって不安におびえている人がいれば、その人のまわりには、同じ病気をしながらも、不安に打ち勝ったメンバーがいます。
ですから、そういう場合は、ただ心を静めて自分の内なる声を聞くようにすればいいのです。
そうすれば、今の自分には想像もできない内容のアドバイスが聞こえてきます。

こうした内なる声のアドバイスを、神の声だという人もいます。
あらゆるものは神なのですから、そうにはちがいないのですが、ただメッセージにもいろいろあるのです。
神は、ひとりひとりの人生上の問題に対してどうしたらいいか、いちいち細かいアドバイスまではしませんが、ソウル・グループの核心メンバーはしてくれます。
あなたが次に何をしたらいいか、これからあなたに何が起こるか―こうした質問に答えてくれます。

ソウル・グループは、各メンバー間で思いやりを持ちあい、心の交流をはかりたいと思っています。
なぜなら、地球界にいるグループのメンバーすべてが霊的に成長しないことには、グループ全体としても先にすすめないからです。

ソウル・グループができたあと、各メンバーはそれぞれの生き方を体験するため地球界に生まれてきました。
そして、地球界で何度も転生を経験した後で、もう地球界での人生を経験しなくてもいい段階まで霊的に成長しようと話し合いました。
最後のひとりが霊的に成長するまで、どんな意識体も次の段階へすすめないというわけではありません。
ただ、同じソウル・グループのメンバーがいつも一緒に成長していくことは事実です。

ですから、非常に個人的な意味においても、ソウル・グループはそのメンバーひとりひとりの意識の目覚めに関心があり、メンバーが悟りを開くことに対して神よりももっと深い関心を持っています。
神はもともと悟りを開いた存在ですが、ソウル・グループはこれから悟りを開こうとしている存在だからです。

このソウル・グループの存在は、人間にとって最も勇気を与えてくれる情報だと思います。
地球界で生きているときも、地球界を離れてからも、グループはいつも各メンバーの力になろうとひかえていてくれます。

私をチャネリングするメアリーマーガレットと私の関係についてよく聞かれるのですが、私は彼女のソウル・グループのなかで悟りを開いたメンバーだと言うこともできるし、私のメッセージを聞いている人もまた同じソウル・グループのメンバーかもしれません。
私がこうして地球の人々にメッセージを与えるのは、私のソウル・グループが早く成長できるように、人々に早く目覚めてほしいからだとも言えます。

人生は相反するものが存在する二極性のものであるという事実を受け入れ、ソウル・グループというものが存在するのだということをじっくり考えてみると、自己憐憫や孤独感、どう自分の人生を生きたらいいかわからない、などという不安を取り除くことができるようになります。
なにしろ、その道のエキスパート群がすぐ近くにひかえていて、いつでもアドバイスをくれるのですから。

あなたのまわりにあるエネルギーからは、常にメッセージが送られてきています。
それに耳を傾ければいいのです。
眠っているときも、起きているときも、メッセージに耳を傾けて下さい。

ソウル・グループのエネルギーは夢に現れて人々を導いてくれます。
夢は、その人が今必要としていることを気づかせてくれます。
こういう強力なメッセージを持つ夢をパワードリームと呼びますが、こうした夢は、はっきりとわかりやすい形でアドバイスをくれます。
「こういうメッセージをくれるあの世はあちらにあって、自分たちはこちらにいる。
だから自分が死ねまで、あの世とは関係がない」などとは思わないでください。
あの世にいるソウル・グループのメンバーとのほうが、肉体を持った人間よりも話しやすいし、よく理解してもらえるということもあります。
なぜなら、同じソウル・グループのエネルギーのほうがずっと自分に近いからです。
ソウル・グループのエネルギーは常にその人を囲んでいるし、神からの啓示体験のようなヴィジョンを見せてくれたり、守護天使がそばにいるという感覚を与えてくれたりします。
各ソウル・グループには悟りを開いた者がひとりかふたりはいて、アドバイスをくれます。

肉体を持っている者としかコミュニケーションができないと思いこんでいる人は、心の奥からたえまなく聞こえてくる導きの声という、パワフルな知恵の泉から自分を切り離しているのです。
こういうことを信じるか信じないかは、あなたの自由です。私たちは気長に待ちます。

けれども、これまでの思考の枠を打ち破り、もっと自分の考えを広げ、意識を拡大したいという強い欲求がひとりひとりのなかにあります。
こうした欲求が、最終的にはソウル・グループを自分に引き寄せます。

ソウル・グループのエネルギーの渦は、人間の五官やエゴや知的能力にしばられない、もっと広大無辺の見地から物事を見る能力を持っているので、そういう観点からの情報を送ってくれます。
人間は、自分が思いこんでいるよりも本当ははるかに能力のある、大きな存在です。

それなのに、あなた方は、自分はか弱い存在で、心から愛し合うことができるのはほんの少し
の人たちだけだ、と思っています。実に寂しい考え方です。
人々がこのような無力感の壁をやぶり、もっとのびやかでパワフルな人生観を持てるようにと、私はお手伝いしているのです。

自分が「大いなるすぺて」という神のエネルギーの一部であり、「大いなる一」の一部であることを理解し、一度そう感じることができたら、その認識とともに生きていけます。
しかし、自分はか弱い人間で、孤独で、誰からも愛されず、偶然優しい人に出会えば、親切にしてもらえるかもしれないけれど・・・という考えから抜けでられない人は、孤独感と無力感に包まれます。

「あちら」から助けの手が伸びていることをいったん信じはじめると、それが本当なんだと実感できます。
けれども、そう信じるまでは、どんな助けが来ようとも、人はその存在を疑いつづけるでしょう。
人生は悩み苦しむものだと信じている限り、その人の人生は悩みや苦しみがつきまといます。
自分は喜びと幸せに満ちた人生を送るのだと決心すると、苦しみの人生とはちがう人生を送ります。
自分が何を信じているかに注意を向けてください。
朝、目が覚めて、その日の日常的なドラマが意識に入ってくる前に、心を静めて自分の知りたいことを尋ねてください。
答えが返ってきます。

ソウル・グループには、深い愛情に根ざした思いやりの心があります。
深い愛情というのは、肉体どうしの関わり合いではなく、魂どうしの関わり合いです。
あなたの魂は何百というエネルギー源、つまり、存在と非常に深い関係を持つことができます。
ですから、自分は無力で孤独だと感じる必要は全くありません。
ほとんどの人が、自分と深い愛情関係を持てるのは物質界の人間だけだ、という狭い考えにこり固まっていて、自分で自分を殻に閉じこめています。

もちろん、肉体の愛情関係もすばらしいものですが、人間が求めているのはそれ以上のものだということを私は知っています。
深い愛情関係というのは、肉体を持つ人間どうしのあいだにもありますが、肉体があることによって愛情が生まれるわけではないのです。
人々が求める心の安らぎや知恵やユーモアなどは、いつでも手を伸ばして自分のところに引き寄せることができるのだ、ということをわかってください。

ソウル・グループのエネルギーは、人々があるがままの自分として生き、自分を愛し、自分を十分に楽しむようにと励ましてくれます。
誰もがその人生において望むものをすべて手に入れるに値するのです。
このことに早く気がつけばつくほど、その実現も早くなります。

質問:人生の二極性の否定的な面を、どうしたら受け入れられるようになるでしょうか。

まず、人間にとって否定的とは何を意味するのかを考えてみる必要があります。
ひとつ例をとってみましょう。
恋人と大げんかをしたとします。
そして、彼、もしくは彼女からひどく心を傷つけるようなことを言われました。
ひどい言葉を聞くと同時に、傷ついた心はイメージを描きはじめます。
感情が、怒りやくやしさのイメージを描きます。
そして、人はそのイメージを真実と思いこんで、それに反応するのです。
ところが、ここで心に浮かんだイメージが真実かどうか、誰も疑ってもみません。
ただ傷ついたと感じ、泣きわめきたくなるだけです。
この時点で立ち止まってみてください。
そのときの自分の感情に十分ひたり、感情を押さえないであるがままにしてみるのです。
あるがままにしていると、何かちがったエネルギーが動きだします。
心のなかのイメージの感情的なレベルを通りこして、その後ろにある真実のエネルギーに入ることができます。
そうすると、それまでの感情が発散され、解放されはじめます。

人が感情のイメージの段階でストップしてしまうのは、自分が感じている感情を発散するのはいけない、と思っているからです。
だから、その感情を表現しないし、表現されない感情のエネルギーが体のなかにたまっていくのです。
そうする代わりに、自分のなかに生まれる一瞬一瞬の感情の動きを意識し、異なる感情のエネルギーの動きを押さえず、ありのままを感じることによって、単なる感情のイメージを通りこして、そこで起こっていることの本質を知る必要があります。
イメージを通りこしたとき、あなたは何かを学ぶことができます。
感情のエネルギーは、いぜんとしてあるのですが、もうそれがそんなに心を傷つけるものではなくなります。
どんな感情のエネルギーも、すべては「神なるエネルギー」の動きなのですから、心を傷つけたりはしません。
ただし、怒りやくやしさのイメージは決して神のエネルギーではありません。
それは人間が生みだした否定性にすぎません。

イメージを通りぬけて、直接、エネルギーに達すると、そこで感じるのは、喜びや美や調和と同じエネルギーです。
この宇宙には結局、「大いなる一」のエネルギーしかないのですから、同じ感じがするわけです。
ちょうどプリズムを通る太陽光線が、入ってくるときはひとつの白色光なのに、出ていくときはいくつもの色に分かれるように、人間の場合も同じです。
人間に入ってくるエネルギーはひとつなのですが、人間はエネルギーを通すプリズムなので、出るときはさまざまな部分に分かれます。
それはいろいろいな行動や考むや感情となって現れます。
エネルギーが入ってくるときに、静かに安定したプリズムとなってそれを感じるようにすれば、動揺したりしません。
どんなエネルギーが入ってきても、それは、心のイメージに出てくるような断片的なものではなく、「大いなる一」のエネルギーであることがわかるようになります。

私はずいぶん長いあいだ、友であるあなた方に対して、声を大にして話しかけつづけてきました。
私はあなた方をとても深く愛しています。
だからこそ言うのですが、あなた方は条件反射をするように徹底的に訓練されています。
あなた方は感情を感じないように教えこまれ、その代わり、条件反射の行動をするように教えこまれてきました。
条件反射をするということは、自分で創ったイメージにとらわれてしまっているということです。
しかもそのイメージは、まるで恐怖映画です。

とにかく、感情を感じることから始めてください。
感情をありのままに受け入れていけば、それを解放することができます。
このことをわかってください。

人間は、心の傷に直面することなど、とてもつらくてできないと怖れ、感情を感じることを避けながら一生を終えます。
ところが、実際には、あなたはすでに傷を負っているのです。
ただ、その傷を超えたところにある、もっと大きな自分の存在を感じていないだけです。
それを感じれば、そこにはエネルギーの動きが生じます。
ところが、そこにあるのはエネルギーの動きなのだという真理を見ようとせずに、マイナス極への振れを怖れるという幻影に生きる限り、身動きがとれなくなってしまいます。
感情は、自分のなかの動いている部分ですから、止まれません。
感情は生まれたり、消えたりします。
自分と静かに向かいあって、このことを自分で発見する必要があります。

ひとりになることを非常に怖れている人がたくさんいます。
話し相手がいないと、自分というものを経験しなければならないからです。
ひとりにならないようにと、人は自分の人生、ドラマになるべく多くの人間を登場させようとします。
けれども、自分と静かに向きあったときに起きるのは、私がこれまで話してきたようなエネルギーに触れ、それとひとつにとけあうことなのです。

自分自身が自分にとっての最良の友です。
本当の「自分」に出会ったときに、やっと、人は心の平安を得、ゆったりとくつろいで、ありのままの自然な自分になれます。

今まで怖れて逃げまわってきたものこそが、実は、長いあいだ求めていた心の平安をもたらしてくれるものなのです。
仲間と一緒にいるために、道場に通ったり、講演会に行ったりするのは楽しいことですが、家に帰ればまたひとりです。
心のなかの静寂こそが、自分自身を発見する場です。
避けるべき相手をまちがえていたのです。

ここでもまた、世界は「さかさま」です。
多くのものが見えるところに本当は「ひとつ」しかなく、「自分」を怖れ逃げまわっていたら、「自分」こそが本当の「救い主」だったというわけです。
「救い主」を外に探していたのに、実は救い主は中にいたのです。
あなた自身がそうです。


『バーソロミュー
  ―大いなる叡智が語る愛と覚醒(めざめ)のメッセージ』
    (バーソロミュー 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

精神世界ランキング
 ↑誰も押さない?
押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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