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知るということ

あなたはに在るものすべてを知る力がある。
なぜなら、知られるべきものはすべては偉大なる神の意識にあり、神の精神がまるで心臓のように鼓動し、それをあなたに送り込むからだ。

この愛すべき次元には、「覚醒」しようと一生懸命苦労している者がたくさんいる。
それは、たしかに充分その価値のあることだ。
だがそれでも、その言葉の意味するところを真に理解している者はほとんどいない。
覚醒するということは、「光の中にある」こと、何かについての知識を持つことを意味しているだけだ。
知識を使えるようにして、自分の選んだ形でそれを応用するということだ。

どうすれば覚醒できるのだろうか。
何かのお墨付きを受けて、でないことは確かだ。
覚醒するただひとつの道とは、想念が自分の思考過程に入るのを許し、それを感情の中に抱いて、その体験を通してそれを智慧に昇華させることだ。

知識はなぜ重要なのだろうか。
知識はあなたのいちばんの宝だ。
すべてがあなたのもとから奪い取られたとき、奪い取られなかったもの、これからもけっして奪い取ることのできないものとは、あなたに再び創造する力を与えてくれるこの知識だからである。
知識があれば、あなたには自由がある。
選択がある。
知識があれば、限りなき世界を築くことができる。
知識があれば、恐れるものは何もない。
知識さえあれば、あなたを脅かしたり、隷属させたり、怯えさせることのできる物も、要素も、国家も、叡智もまったく存在しないのだ。
恐れが知識を与えられたときに、それは「覚醒」と呼ばれるのである。

知識は、あなたの精神がすでに知っている以上のことを推論し、思索するのを可能にしてくれる。
在るものすべての「知っている状態」をさらに深く見させてくれるものであり、さらに偉大なる知識を受け容れることを可能にしてくれるのだ。
知識は、あなたがさらに成長し、絶え間ない広がりを探求し続けること、最高のものになることをあなたに強く求めるのである。
その意味で、それはあなたを限られた人生から、さらに限りない領域へと連れていくのである。
知識、それに学びへの冒険を通じて、あなたはさらに単純明快な存在となっていく。
そして、その単純明快な中に、在ることの平和と生のよろこびを見いだすのだ。

さて、ここで知ることの科学について説明したいと思う。
つまり、どうしてあなたはすべてを知る力を持っているのかということだ。
それはなぜ大事なのだろうか。
それは、あなたが知ることは、すべてあなたがなっていくことだからだ。
そして、どうしたら在るものすべてを知ることができるかを学んだとき、あなたは在るものすべてとなり、それはまさしく神になるということなのだ。
限りない知識、限りない生、そして思考の総体なのである。
そこでは、あなたは再び、ただ在ることの限りない自由であり、よろこびなのだ。

すべて在るものを知ることがどうしてできるのかを理解するためには、すべては神の精神である思考から存在してくるだけでなく、あらゆるものがその存在固有の想念を発しており、それを神の精神へと返していることをまず理解しなくてはならない。

あらゆるものはまわりに光の場を持っている。
光の輪によって囲まれていないものは存在しない。
光が思考の像を保持し、観念を物質という形体へと創造していくからだ。
その光の場を通して、個々のものはその存在の思考を発し、それを「意識の流れ」、あるいは「思考の河」と呼ばれるものへと返す。
これが神の精神なのだ。

カーペットを見てみよう。
植物を、光を、あるいは靴の革を、自分の手や、ほかの人を見てみよう。
そこに共通しているものは何だろうか。
それらはすべて存在している。
そして、存在していることによって、個々のものはその存在からそれぞれ独自の思考を発しているだけでなく、そのまわりにあるものすべてを意識する「気づき」を発しているのだ。
これは、「集合知覚」と呼ばれるものである。
カーペットがそのデザインにある色や、その上に誰がすわっているかを知り、植物が部屋のことに「気づいて」いる中で、この気づきはその存在の光を通して大きな意識の流れへとそそぎ込んでいる。
そして、一瞬一瞬その気づきは変化している。
あらゆるものが存在する思考の河である神は、つねに拡張し、動いているからだ。

すべての星座から塵の一粒まで、見えると見えないとにかかわらず、この宇宙、またすべての宇宙のあらゆる存在は想念を発しており、それを神の精神へと送っている。
あらゆる存在はもともとそこからやってきているからだ。
すべては思考へと戻っていく。
そしてこれが、何かが「知られる」ということなのだ。

あなたには、すべてを知るべくして知る力がある、というのはどういうことだろうか。
あなたの肉体は、オーラ、あるいはオーラの場と呼ばれるすばらしい光の場で包まれている。
オーラとは、あなたの化身の物質を包み、それをひとつにまとめている光の場のことだ。
キルリアン写真という手段を通じて、皆の世界の科学者は、オーラの最初の光の輪の場をすでにカメラに収めている。
だが、あなたの体を包んでいる電磁場はまだある。
オーラというのは、電気の密度(身体を包んでいる青色の光の輪)から、思考まで無限に続いているものだからだ。

オーラはあなたの存在の精神だ。
あなたの存在の精神、あるいは私があなたの存在の神と呼んでいるものは、すべてのものを知る大きな意識の流れである神の心と直接つながっている。
オーラの一部は、きわめて強いプラスとマイナスの電磁場だ。
この電磁場を越えると、電磁場には極というものがなくなり、ひとつの光の領域、純粋なエネルギーとなる。
この光の領域は、「知っている状態」から発生するすべての想念を、この広大で強力な場の中を通過させる。
どの想念があなたに知られるようになるかは、あなたの思考過程によって決められているのだ。
あなたのオーラの中の電磁場である部分が、あなたの思考にしたがって特定の想念を引きつけるからである。

あなたの精神は、けっして動きを止めず、変化を続けていく思考という河の瀬にあるふるいのようなものだ。
精神という光を通して、あなたはすべての知識が存在している場所である思考の流れ、すなわち神の心を受け取る立場にある。
つまり、あなたは知るのが可能なことはすべて知り得る力を持っていることになる。
なぜなら、あなたは知識の河、すなわちすべての意識の途切れなき流れの中に存在しているからだ。

意識はちょうど河のようであり、身体の細胞一つひとつを含め、あなたの自己はすべてそこから途切れなく栄養を与えられている。
思考はあなたの生を維持し、それに実体を与えてくれるものだからだ。
意識の流れからの思考によって、あなたは生かされているのである。
個々の細胞に食物の栄養物質を運ぶ血液の流れによって身体が生きているのとまったく同じように、あなたの自己全体は、意識の流れから発する思考の物質を通して維持されているのである。

意識の流れからくる想念によって、あなたは自分の存在の一つひとつの瞬間を創造している。
思考の河からつねに想念を取り出しているのであり、それを魂で感じ、その感情を通じて存在の全体を育み、成長させ、今度はその成長した自己を想念の河へと戻し、それによって河がすべての生の意識を広げていくのである。

意識は、あらゆる生物、あらゆるものが発する思考すべてで成り立っている。
意識をつくり上げている思考は、それぞれ異なった波動をもつ。
中には、きわめて低い(あるいは遅い)波動のものがある。
これは、「社会意識」としてこの世界を支配しているような思考だ。
高い波動の思考もある。
もっと限りない超意識の思考だ。
意識とは、異なった思考の波動の周波数値すべての総計であり、その中で、それぞれの想念があらゆるところから似たような波動の想念を引き寄せているのである。

社会意識は電気的な思考の密度をもつが、それでも空気より軽い。
社会意識の密度の濃さは、表現された想念がつくり上げている。
あらゆる存在が感情を通してこれまで表現してきた想念のことだ。
それは実体となった想念、言い換えれば、それぞれの存在がすでに自分の中に取り込み、魂で感じた後に、各々のオーラの場を通して思考の河に戻し、他の皆がそれを栄養としてまた取り込んだ想念なのである。

皆の生きている次元がその存在の基盤としている思考は、社会意識という、波動の低い、限られた思考だ。
そこにある想念は、制限が多く、何にでも審判を下すきわめて厳しいものだが、それは皆の人生が生存と死への恐怖に関係する価値観によって支配されているからだ。
それが化身の死、あるいは自我の死のどちらであってもである。
したがって、皆の意識は、食物、住居、労働、それに黄金についての想念で占められている。
正しいこと、そうでないこと、いいこと悪いことに関する価値判断、ファッションや美、他に受け容れられることや他との比較、年齢、病気、それに死などの想念で占められているのである。
こういった低い波動の想念は、まわりの人間の思考の大部分を占めているので、あなたのオーラの場もわけなく通過してくる。
だからあなたは、きわめて制限され、よどんでいる意識からの限られた想念をつねに与えられているのである。
こういった想念が自分を養っていくのを許してしまう過程で、あなたはこの想念がつくり出すフィーリングを内から外へと表現し、それが人間の限られた思考を再生、永存していくのである。

皆の世界の中でも、大都市の意識はとくに限られている。
そこに生きる者のほとんどは、きわめて競争的で、時間志向、ファッション志向が強く、互いを恐れていて、他を受容する態度がない。

したがって、大都市はすべて密度の濃い意識で覆われている。
他の宇宙からここにやってきた者たちが都市を見下ろしたときに見るのは、複数の色の光でできた編み目のようなものだ。
きわめて限定された意識がもつ、波動の低い想念が光の場として現れているのである。

もっと波動の高い超意識の想念とは、「在るということ」、ただ在ること、生、調和、途切れなき継続性などのものだ。
それは愛の想念なのである。
そしてよろこびの想念なのだ。
天才の想念だ。

それは、本当はいま私が語っている言葉を通して表現することさえ不可能な無限の思考なのである。
無限の思考からのフィーリングというものは言葉による記述を超えているからだ。

波動の高い思考は、人間のよどんだ思考から離れた自然の意識の中にいたほうが体験しやすい。
そこでは、生というのは単純明快なものであり、時を超越して途切れなく続き、自己と完壁に調和がとれているからだ。
そこでは、人間の価値判断から離れ、自分自身の「知っている状態」の鼓動を耳にすることができるのである。

意識の流れから想念を取り出す力をどうしてあなたはもっているのだろうか。
あなたのオーラの電磁的な部分が、あなたの思考過程と、存在の感情面での状態にしたがって、想念を引き寄せてくる。
想念があなたの養分となる、つまりそれがあなたの存在の内で感じられ、実感されるためには、波動を下げて光体となることがまず必要だ。
想念が、身体を包んでいる光であるあなたの存在の精神と遭遇すると、はちきれんばかりの光となって炸裂する。
つまり想念は、光に遭遇すると自ら発光するのである。
光は思考物質の波動を下げる。
こうして光が、それと似たようなものを引き寄せるのだ。
想念は目に見えず、それが次に光の炸裂という形で見えるようになる。
想念は光という形であなたの脳に入り、今度はその想念の波動値によって異なる特定の周波数をもつ電気的な光の推進体へと変容するのである。

何かひとつのものをあなたが意識するとき、あなたはその想念を受け取っている。
想念を受け取っている瞬間に、あなたの脳がその想念の光を受け取っているのだ。
通常は視界の横のほうでだが、ときとして光が昨裂するのを見る人がいる。
そこで目にしているのは、ほとんどの場合、自分自身の精神が想念を受け取っているところなのである。
自の前に輝く光が現れるのを見た瞬間というのが、想念がオーラの場に入り、脳の内部でその姿を見せた瞬間なのである。
目を閉じたとき、さまざまな色の動きや、形が広がるのが見えるなら、あなたは想念が脳に入るときにどんな姿になるかを目にしているのだ。

あなたの脳は、思考の電気的な波動を受ける大事なレシーバーであり、その各部がそれぞれ違った想念の波動を受け取り、蓄積し、増幅するようにできているのだ。
各部分は、その細胞壁の内側にある水の比重によって、異なる想念を蓄積し、それを電気に変換する能力を秘めている。
ある部分は、高い想念の波動だけを蓄積し、増幅する力を持っている。
逆に低い想念の波動だけを蓄積、増幅できる部分もある。

一般に信じられていることとは裏腹に、あなたの脳が思考をつくり出しているわけではない。
脳は、意識の流れから思考がその内部に入ってくるのを許すだけなのだ。
それは、あなたの存在の精神を通して入ってくる想念を受け取って蓄積し、電流に変換、増幅すると、それを理解できるよう実感するために、身体のあらゆる部分に伝達するという特定の目的のために神がつくり出した器官なのである。

皆の持つテクノロジーに、ラジオと呼ばれるものがあるが、それには音量を決めたり、どのメガヘルツの周波数の電波を受信するかを決める調節器があるはずだ。
脳もまた、同じような調節器を持った受信機であり、ある特定の周波数を受信するためには、それを蓄積するようつくられた部分が起動されていなければならない。

異なった波動の想念を受け取る脳の力は、ちょうど右脳と左脳の間に位置する脳下垂体と呼ばれる強力な調節器によってコントロールされている。
脳下垂体は第七のチャクラとも呼ばれ、脳全体を司る。
異なる想念の波動を受け取って蓄積するそれぞれの部分を起動させるはたらきをするのである。
思考を用いて思索したり、論考したりして、その想念を身体全体にめぐらせ、体験として実感し、さらに大きな叡智を得るというあなたの力を開いてくれる扉なのである。

脳下垂体はたいへん小さな、しかしすばらしい分泌腺であり、これを「第三の眼」と呼ぶ人もたくさんいる。
でも、三つめの限はない。頭の中にはそれが入る余裕もない。
脳下垂体は眼のような姿さえしていない。
洋梨のような形をしていて、小さなほうの端には口状の部分があり、それがちょうど花びらのように見える。
あなたの脳は、この強力な分泌腺によって、複雑なホルモンの流れのシステムを通じ、支配され制御されている。
内分泌腺である脳下垂体は、ホルモンを分泌し、そのホルモンが脳全体を流れて、いまひとつの内分泌腺で、脳下垂体の近くの大脳の基底の部分、ちょうど脊髄の上に位置する松果体の口状部へと流れていく。
松果体は、想念を増幅して全身に送ることができるようにする機能を司っている。
脳下垂体から松果体へのホルモンの流れが、異なった思考の波動を受け取るさまざまな脳の部分を起動させるはたらきをするのである。

身体の諸機能は、内分泌腺から血液の中に流れ出すホルモンによって調和を保っている。
その調和を保つのが松果体の役割だ。
松果体のホルモンが他の分泌腺を起動させ、互いにバランスをとりながら各々のホルモンを分泌し、「ホルモン・バランス」と呼ばれるものをつくり出すのである。

そのバランスのレベルは松果体が受け取る集合思考の波動によって決まる。
思考の波動が高ければ高いほど、化身全体のホルモンの流れも多くなる。
また、波動が高いほど、松果体は脳下垂体のはたらきを増し、そのホルモンの量を増やして、今度はそれがさらに高い波動の思考を受け取るよう脳を活動させるのである。

意識の流れからの想念は、あなたの存在の内でどういうふうに実現するのだろうか。
想念がオーラを通ってくるとき、オーラはそれを定義するわけではない。
想念に価値判断を下したり、変えたりせず、無限の状態のままでそれを通すのだ。
やってきた想念が脳に到達すると、まず大脳の左上部、知性(あるいは理性)の機能が宿り、変性自我が表現されているところに移動する。

さて、変性自我とは何だろうか。
人間としての体験から得られた叡智が魂に蓄積され、脳の知性の部分を通して表現されているものだ。
神なる人間が、ただ生き残る生き物として社会意識の影響下で生きているときの価値観の総体だと言える。
そしてその世界観は、身の安全という概念の中に収まらない、つまりその存在の生存を確実なものとするために役立たないような波動の思考は、受け容れるのを拒んでしまうのである。
変性自我とは、化身の内でさらに大きな気づきを持つために、すべての想念を受け容れ、それを心に抱くことを拒否する姿勢のことなのだ。

変性自我によって脳の中に入ることを許された想念の波動は、電流に変換され、脳下垂体が起動させたその波動を蓄積する役割を持つ脳の部分に送られる。
脳のその部分は、その電流を増幅し、松果体へ送る。

松果体は、あなたの中枢神経を司っている。
個々の思考の波動を集め、それをさらに増幅して、電気的な思考のハイウェイとして脊髄の中を走る中枢神経にそれを送り込む。
松果体から来た電流は中枢神経の内部にある液体(これは水である)を伝わり、脊髄を通り、そして個々の神経から全身の一つひとつの細胞へと伝えられていく。

さて、身体の中の個々の細胞には、血液を通して行なわれた食物の摂取の際に、酵素のはたらきで得られた気体が供給されている。
想念からの電流が細胞組織に入るとき、それは火花のような光として入っていく。
この火花が細胞を「燃焼」させ、それが気体を膨張させる。
これが、細胞分裂を通して細胞が自己複製することを可能にするのだ。
もうひとつ細胞を創造し、自らを再生するのである。
こうして、このたったひとつの想念を通じて、身体全体が潤ったのだ。
これが化身の分子構造の内部で生が実感される過程である。
それは、あなたが存在する一瞬一瞬に受け容れているすべての想念がもたらす結果を通じてのプロセスなのだ。

想念は身体中のあらゆる細胞にいきわたるので、その電気信号に対しては全身が反応する。
全身がである!
こうして、あらゆる細胞を通して体験される想念の結果、あるフィーリング、感触、感情、あるいは「体中を走る感じ」というようなものをつくり出す。
そして、そのフィーリングは魂に送られ、そこで記録される。

あなたの魂はすばらしい記録器であり、あなたの化身の内で感じられたすべての感情をきわめて科学的に記録する、まったくバイアスのないコンピュータなのだ。
何か感情を感じるとき、あなたが感じているのは、想念があなたの存在のオーラに衝突し、脳を通して受け容れられて、中枢神経系を通って全身に送られ、それが身体中の細胞にある「感じ」を発生させたものなのである。
すると魂は、将来の参考にする目的で、その感じを感情として記録する。
これが記憶と呼ばれるものだ。

記憶には大きさというものがない。
それはひとつの実体であると言える。
記憶は視覚的な記録ではない。
それは感情の記録なのだ。
視覚的なイメージをつくり出すのは感情なのである。
魂は、記憶の目的で画像や言葉を記録するのではなく、その画像や言葉のもたらす感情を記録するのだ。

魂は、全身で感じられた思考によってつくり出された感情を受けて、記憶の中からそれと似たものを探す。
脳の理性の部分、皆が知性と呼んでいるものが、そのフィーリングを描写する言葉を選ぶのに使えるものを探すのだ。
記述できることは、すべて体験にもとづいたある特定のフィーリングと結びついている。
皆が花を花として知っているのは、花についての感情面の体験があるおかげだ。
皆は花という構造物を見て、それに触れ、香りを嗅いだり、身につけたりした体験がある。
だから花はある特定の感じをもたらしてくれるのだ。
絹を絹として知っているのは、特定の感覚や感情的体験をそれと結びつけているからであり、それが「絹」という理解を生じさせる。
魂は、そういった感情の体験からの情報をすべて記録している。
想念からのフィーリングが感じられると、魂はそれを記録し、そして記憶にあるこれまで体験した思考の中から、それと似たフィーリングを探す。
そして、その情報を脳に送り返し、その想念は実感された、つまり化身全体を通して、そのすべてが理解されたことを伝えるのである。
思考はただ脳だけで実感されるのではない。
それは全身で実感されるのだ。
脳の理性の部分が、その後でそのフィーリングを描写する言葉を作成させてくれるのである。

想念はどのように実感され、知られるようになるのだろう。
それは感情を通してだ。
「知っている状態」というのは、まさにひとつのフィーリングにほかならない。
どんなものについての思考であっても、まず感じられるまでそれが知られることはない。
感じられて、はじめてそれはひとつのアイデンティティを持つのだ。
ある想念を知ることは、まずそれを脳の中に受け容れ、感じるのを自分に許す、つまり全身でそれを体験することなのである。
知識とは、あることを証明するのではなく、それを感情で確かめることなのだ。
一度そのフィーリングを自分の内に持てば、あなたは「それは知っている。その感じがある。知っている」と言えるのだ。

わが愛する兄弟たちよ、あなたたちの内にこそ、すべての知識への扉があるのだ。
あなたの内面で燃える炎は、あらゆる微少な原子、あらゆる巨大な星、あらゆる細胞形態を持つ生き物、つまり在るものすべての内にちらちらと燃える炎と同じものなのだ。
まったく同一の火なのである。
すべての生命とひとつであるというあなたの状態は、光の原理を通じて実感される。
魂にある感情に信を与える光とは、花々や、星や、その他在るものすべてに信を与えるのと同じ光だからだ。
だからこそ、あなたは自分の内にすべてのことを知る力を有しているのである。
何であろうとも、それを知るということは、意味もない難解な言葉に包まれた知性の美辞麗句を通して理解することではない。
花を知っている状態というのは、内面の存在が、フィーリングを通して到達するものなのである。
何かがどう考えているかは、それが発する波動、すなわち感情を通して必ずわかるものだ。
何かを知りたいならば、必要なのは感じることだけである。
そうすれば、あなたはいつも絶対に正しいだろう。

思考は人生の体験をどうやってつくり出していくのだろうか。
松果体は「知識を具現化させる」チャクラである。
受け容れることを自分に許す知識は、すべて現実となる。
まずそれは身体のレベルで起きる。
松果体が、まず最初にその想念が感情として記録されるよう、電流として全身に送る役割を持つからだ。
想念が限りなきものであればあるほど、体中を走る波動の周波数は高く、そして速くなる。
つまり、体験する「ハイの状態」、あるいは体中を走る感覚がより強くなるわけである。
そのフィーリングは、ある特定の波動として魂に記録される。
魂に記録されたすべての想念のフィーリングが、今度はひとつの期待感として、オーラに向けて放出される。
その期待感が、光の場の電磁部分を起動させ、ちょうど磁石のように、あなたの価値観や思考全体と似かよったものを何でも引き寄せてくるのである。
それは、あなたの想念すべてから得られ、体験されたのと同じフィーリングをつくり出す状況であり、物であり、人であるのだ。

なぜだろうか?
あなたが自分の想念を三次元的な現実として体験し、その過程で得られる最高の宝でもある叡智を手にするためにである。

では、望みというのはどう具現化するのだろうか。
望みとは、それが満たされるという想念を、物、人、あるいは体験を通して見たものにすぎない。
あなたが自分に感じることを許した「満たされるという想念」は、すべて電磁場を通ってあなたの身体を離れ、意識の流れに入っていって、あなたが身体で体験した欲求と同じフィーリングを生み出すものを引き寄せてくる。
その欲求が身体の内で完全に、そして強く感じられたものであればあるほど、それが満たされる形も完全なものとなる。
そして、望みが満たされると絶対的な確信をもって知っていればいるほど、それが現れるのも早くなる。
絶対的な「知っている状態」というのは、オーラの場を通して期待感を発する高い波動の想念であるため、自分の欲求を実現するあなたの力を増幅してくれるからである。

あなたにはあるものすべてを知る力がある。
それがもともとあなたの脳がつくり出された目的なのだ。
物質次元で物質的な身体の中に生きる神が、自分で体験し、理解したいと望んだ神の側面については、すべて三次元に形あるものを通してそれができるようにするためなのである。
あなたのすばらしいレシーバーを通して自分に知ることを許した想念は、すべて体験する現実となる。
はじめは自分の化身の内に見えるものとして、次にはあなたの人生の状況として。
そして、望んだことは、それがどんなことであろうと、知ることを通じてこれを一瞬のうちに自分の人生で具象化する力があなたにはあるのだ。
そうやって、この地球上に天上の王国がつくられていくのである。

それは実に簡単な科学だ。
忘れないでほしい。
思考はただ存在する。
そして、光は見える。
光の波動が下げられ、電気信号となる。
電気信号はさらに下げられ、下げられ、下げられて固体となる。
そして、固体の波動が下げられて、想念・観念を表すものとなるのである。

同じ真実が身体にもはたらく。
それはやはり、思考、光、受信機であり、受信するものから電気を受けて、固体の全身に送り、その固体がフィーリングを通じて理解できるようにするのである。
望みを現実のものとするには、何でも自分の望んでいることを感じるだけでいいのだ。
するとその感情が父なるものに送り返され、それが満たされるのである。
ただそれだけのことなのだ。
単純すぎるだろうか。
それとも、もっと複雑なことをお望みなのだろうか?

『ラムサ―真・聖なる預言』
    (ラムサ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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 ↑誰も押さない?
押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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