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生まれ変わり

あなたがここに戻ってきたのは神を体験し、自己について理解し、「在りて在るもの」の本質を生きるためだ。
そして、「在りて在るもの」の本質は、思考の領域でつくり出されるあらゆる感情を網羅しているのである。

主:特に具体的な質問を持ってやってきたわけではありません。
あなたが誰に対して言ったことでも、私たち皆に当てはまると思いました。

ラムサ:そうです。つねにそうでした。

主:でも、二つ一般的な質問をしたいと思います。
この次元を去るとき、私たちは必ずもっといいところに行くとあなたは言いました。

ラムサ:そのとおりです。
この会場を去るとき、あなたはすでに、より偉大な存在へと進みます。
あなたの生は、あらゆる瞬間に、その前よりもすばらしくなっていくからです。

主:ええ、では生まれ変わりのはたらきについて何か教えてくださいませんか。
つまり、ここを去ってもっといい場所に行くのに、なぜまたこの次元に戻ってくるのでしょうか。
何かを学ぶために帰されるのですか?

ラムサ:主よ、まずはじめに訊きますが、この場所で将来あなたを待ち受けているもっといいものはないと、どうしてわかるのですか?

主:それはここに生きることが辛苦であるように思えるからです。
対処していかねばならない苦痛や哀しみがたくさんあります。
自分自身で多くの苦痛を体験しているのではなくても、そこらじゅうにそれが見えます。
ですから、ここには明らかに多くの苦痛があり、これが近い将来ずっと良くなるとは想像しがたいのです。

ラムサ:ここ地上界にあった最後の「苦痛」は飢餓でした。
皆、いつも空腹だったのです。
その頃の生活と言えば、一生懸命働いて、ペニーでもルビーでもシェケルでも、とにかく空腹を満たすためのパンの一斤やチーズの一かけ、あるいはまずいワインなどを買うお金を稼ぐことでした。
いまの自分たちを見てごらんなさい。
皆、脂肪を落とそうと必死になっているではありまぜんか!
皆が充分に食べられるようになり、小太りになってきたと思ったら、誰かがやってきて「だめだめ、そりゃ美しくないよ」と言うのです。
だから今度は、皆、一生懸命飢えようと努力しているというわけです。
人生というのはまったく冒険の連続としか言いようがありませんね。

主よ、この場所での「苦痛」とは、つまり自我というもののことです。

主:ええ、でもあなたの言いたいことがよくわかりません。
人生というのは繰り返しなのだと言っているように聞こえます。
その繰り返しに終わりはないのでしょうか。

ラムサ:人生というのは循環ではないし、それが繰り返されることもありません。
それはつねに変化していますが、同時にそれは不変となるべく一瞬一瞬、進化しているのです。
生はすべてを包括し、それが存在するという事実、その「在るということ」だけで、次の瞬間をつくり出しているのです。

それは一瞬一瞬、各々の存在の手で、各人の価値観にしたがって創造されています。
変化のサイクルが繰り返しに思えるのは、生に対する見方のためなのです。

生まれ変わりは確かに真実です。
でもそれは単に、生に対する見方が身体が死ぬことを許したために、ひとつの身体を置いて、ここかあるいはこの物質次元のどこかほかの場所で、別の身体を取り上げるだけのことです。

なぜここに戻ってくるのでしょうか。
それは、戻ってきたいからです。
あなたは自分がここに戻ってこさせられる、自分がどの次元にいようとも、そこから追い出されて化身に戻り、産道を通る苦労やまわりの自我に完全に依存するという苦労をただ繰り返すだけだと思うのですか?

ここにあなたを送り出した宣告などありませんでした。
あなたに自分の意志に反することをさせられる人は誰ひとりいないからです。
ここに戻ろうと決意したのは、あなたです。
あなたが再びこの次元で自分を表現したいと望んだのです。
ですから、もしあなたが自分のみじめな状況を誰かのせいにしようとするのなら、自分の目をしっかりと見据えなくてはなりません。

自分のよろこびも、自分の存在も、自分の悲しみも、あるいはすばらしき人生も、すべてはあなた自身にその責任があるのです。
本当に、そろそろこれを皆が知るべき時期にきています。

この地上界に生まれ変わることを強いられる人は誰もいません。
しかし、気の遠くなるほど長い間ここに生きていると、人間はこれが存在のすべてだと思い始めてしまうのです。
そして自分の身体を失い、感情的な執着から離れ、いろいろあったおもちゃがなくなってしまうと、もうすぐに大急ぎでここに戻ってきたくなります。
ここがただひとつの天国だと思ってしまうからです。
だからこそ、その人にとっては実際にそうなるのです。

あなたがここにいるただひとつの理由とは、あなたが、ここにいたいからです。
あなたの存在の内に、ここで満たすべき何かがあるからです。
その何かとは、よろこびや悲しみ、憐れみや怒り、あるいは苦痛など、自分がこの幻影の次元で体験したいと思うものを何でも表現する必要性のことです。
それを自分の好きなだけ体験するためなのです。
それに飽きたりつまらなくなったりしたら、自分の見方を変えて、何かほかの感情を体験するのです。
事実はそれほど単純なものなのです。

ユートピアが、苦痛や悲しみや、地獄のような状況と並んで存在することはあるのでしょうか。
もちろんあります。
わずかな考え方の違いがそれを隔てているだけなのです。

あなたがここに戻ってきたのは、神を体験し、自己について理解し、「在りて在るもの」の本質を生きるためです。
そして、その「在りて在るもの」の本質は、あらゆる人のすべてを内包しています。
あらゆる見方、考え方、感情、性格、それにあらゆる状況を網羅しているのです。
それは神という思考の領域で創造されるものであり、すべて幻影なのです。

あなたは自分がなぜいまの自分なのかわかりますか?
それはほかの役割はもうほとんど体験してきていて、今回はいまの自分を体験しているからです。
なぜ飢えた子どもではなく、いまのような裕福な人間に生まれてきたのでしょうか。
それはあなたが裕福な人間になりたがっていた、飢えた子どもだったことがあるからです。
だからいまはそうなったのです。
なぜあなたは家族を養うためにパンを焼くパン職人ではないのでしょうか。
それはあなたがパンを焼いて家族を養っていたパン職人だったことがあるからです。
そして今度は、パンを彼から買うほうの存在になっているのです。

この世界のすばらしいところは、それが途切れなく続いていて、変えることもできるし、何でも自分の好きな役になれることです。
そして、生命の場で進化していくにつれて、自分の内面にとって最も重要な学びを与えてくれる幻を演ずるための舞台を提供してくれる局面へと、あなたは進んでいくのです。
そしてその舞台では、王様にも乞食にも、愛する者にも愛される者にも、奴隷にも自由な人間にもなれる自由があなたにはあるのです。
そこでは、自分の魂がその命を満たすために必要な叡智を提供してくれる幻なら何でも可能なのです。

主よ、あなたがまだしていない体験はたくさんあります。
まだしていないこと、会ったことのない存在がたくさんいるからです。
この世界には、必要とするものもきわめて清楚で、崇高で平和な生き方をしている存在がいます。
必要なもの、欲しいものは、ただ単に出現させてしまう人たちです。
彼らは幸福でよろこびにあふれた生活を送っています。
その生き方は、あなたが自分の体験として、まだこれから選んでいくべき思考レベルでの見方であり冒険なのです。

あなたがまだこれから体現していかなくてはならない叡智はたくさんあります。
その中で、最も大事なものは何だと思いますか?
ただ生きるという、単純な理由のために生きることなのです。

生きることだけのために生きるのは、生について得られる叡智の中で最も偉大なものです。
それが平和を知ることができるときだからです。
よろこびを知ることができるときなのです。
そして主よ、あなたが再び全身全霊で神になることができるときであるのです。

生についてのこの叡智は、まだあなたがこれから体験すべきものです。
それはあなたが、自分がおどかされ、怯えさせられることを許してしまい、人を支える役割、労苦を耐える役割、競争する役割、理想主義的な役割、苦しむ役割、神経症的な役割へと自分を追い込んでしまってきたからです。
それを自分の運命と受け容れてきたので、そのとおりになったのです。
でも、もし生というものの他の部分を見に行くことを自分に許すならば、こういった役割は、生きる上であなたが持っている選択のわずか一部分にしかすぎないことがわかるでしょう。

この場所での生は、人類の歴史でいろいろなことがあったにせよ、本当はやはり相当優れたものです。
残念なことに、都市に住み、社会意識のどろりとしたよどみの中に生きる者たちは、この場所がみじめでひどいところだと思っています。
でも、もしも勇気を出して観念や脅しや人間の限られた意識から離れ、自然の中で自分の内にある神とひとつになって生活することができたならば、生きることはとてもすばらしいのだとわかるでしょう。
それは途切れなく続く、無限で美しいものであることがわかるのです。

主よ、あなたがここに戻ってきた理由は、生きるためです。
しかし、あなたはまだ自分をこの次元に拘束するものから自分を切り離していないので、神と生というものの壮大さを体験していないのです。
氷河の上を歩いたり、橋のような形をした岩の下に隠れたり、あるいは冬の窓の外をじっと見つめ、そこに紅冠鳥がとまっているのを見た体験もなければ、砂漠を歩き、食物を求める蛇を見つめたりしたこともないのです。
巨大なピラミッドの中でひとり眠ったり、誰も脚を踏み入れたことのないような場所を探検したこともありません。
そのような場所はまだたくさんあります。
大洋を航海し、大きな魚が飛び跳ねるのを見てもいないし、鹿の後をつけて木漏れ陽のさす森に脚を踏み入れた体験もないことでしょう。

自分の存在にとって、しびれるような、ぞくぞくするすばらしいことを、あなたはまだあまりしていないのです。
そして、そのどれひとつをとってみても、それに比べれば、あなたの仕事や学歴や地位や自動車の年式などどうでもいいことなのです。

これらはあなたがまだこれから体験していく生の側面です。
しかし、実際に体験すれば、それはあなたの神経症や恐れや策略や疑問に思う気持ちなどを、一気に消滅させてしまうことでしょう。
そして、よろこびで爆発したいくらいだと思う瞬間が訪れます。

さて、もしここに戻ってきたくないのなら、戻ってきてはいけません。
そうしなくてはならない理由など、絶対にないのです。
私は二度と戻ってきませんでした。
それは、風とともに昇華し、自分であるものすべてを持っていったからです。
そうすることで、私は自由な存在になりました。
自由な存在なのです!

それは、この場での自分の人生でしたことすべてを超越したからです。
自分を許し、この生を受け容れて心に抱き、神になるという、いますべきことへと進んでいったのです。
そして、もしこの無知でみじめな蛮人にそれができたのなら、主よ、あなたにもできることは火を見るよりも明らかです。

この次元での生を終える形というのは、まずそれを生き、愛し、そこにある単純なものの一部となります。
次に、生の自由を制限したり、限定したり、あるいは怯えて縮こまらせてしまうような観念を自分の中からなくしていくのです。
そして、自分自身の自由の中に生き、自分を愛し、そして自分を他と比べるのをやめるのです。

社会的なイメージのために生きるのをやめ、自分の内でそれがどんなものであろうとも、自分自身の理想と真実のために生きるようになり、自分という永遠の存在を愛するようになったとき、あなたは草花や魚たちや、まさに生命すべてとひとつになるのです。
そうすればあなたはこう言えます。
「この体験はもう終わりだ。
私はここにあるすべての生命を愛した。
だから新たな冒険に進む準備ができたのだ。
遠い国々、新しい叡智、そしてこれまでとまったく違う存在の形へと」。

こういったことをしたならば、あなたはこの次元を輝く栄光のもとに去ることができるのです。
私はそうやってここを去りました。

私はこの次元を愛する者です。
ここにある渓谷をよく歩きます。
木々の間をそよぎ、子どもたちの笑い声の一部となるのです。
ここで生きることがどんなものか、私は知っています。
ここで価値あるものを見逃してはいないからです。

しかし、それよりもっと大事なのは、何よりも私が愛する者たち、わが愛する兄弟たちの苦難を知っていることです。
そして私には答えがありますが、それは実践されなければほとんど役に立ちません。
あなたと、そしてほかのすべての人がここで自己を表現している理由は、それをしたいからなのです。
それが生まれ変わりです。

主:ありがとうございました。
いま言われたことをよく考えてみなくてはならないと思います。

ラムサ:そうしなさい。
なぜなら、そうすれば、あなたは自分という存在にもっとやさしくなり、自分がもうすこし楽に息ができるようにさせてあげるかもしれませんから・・・。

主:それから、もしできたら、この次元に押し込まれていないときにあなたは何をしているのか話してもらえないでしょうか。

ラムサ:皆さんがしているのと同じこと、つまり自分を表現しているのです。
ただひとつの違いは、皆の表現には制限がありますが、私のにはないということです。
私は永遠に手が届くのです。
自分の終わりについてはけっして思いめぐらすことはありません。
そんなものはないのですから。
そして、本当に私は風とともに行きます。
それが私の究極の望みでした。

私は幸せでいます。
あなたの人生を見つめ、あの人のも、この人のも見つめています。
そしてここでの皆の幻を見て、それは皆にとっては確かに深刻なことばかりで、いわば気持ち悪い色の水でいっぱいですが、私はおかしくて笑ってしまいます。
なぜなら、ただもっと見ようとすればいいだけのことで、そうすればもっと豊かなものがあるからです。

私は自己を表現していて、自分の在るがままで幸せでいます。
いま皆が見ている姿ではないとき、私は「在りて在るもの」なのです。
すべてのものが生まれてくる場です。
第七のレベルとは思考の総体で、それは膨大な「空」であり、惑星を軌道に保ち、細胞の間をつなぎ、永遠に近づくところまで存在しているすべてのものを内包しています。
そして、第七のレベルの存在になると、もはやレベルというものさえありません。
ただ存在するだけなのです。
そういう意味で、すべてのもの、すべての「知っている状態」、そしてあらゆる思考を体現する感情すべてとなるのです。

思考そのものになるのがどんなことか思いめぐらしてみてください。
思考はどれほど遠くまで移動することができるでしょうか。
太陽の表面に思考を置いてみることはできますか。
月の裏面はどうでしょうか。
あるいはあなたから見える天界の大小の星には?
どこかほかの次元にいる別の存在に想念を送ることはできるでしょうか。
これはみな、ほんの一瞬もかからずにできることです。

そうなれるものを、あなたは自分の内面に持っています。
そういう表現をしたがらないのは、あなた自身なのです。
いまある状態の表現をしたがっていますから、それはそのとおりになっているのです。

主:自分がなぜ繰り返し戻ってくるのかわかる時点が、必ずあるはずだと思うのですが・・・。

ラムサ:あります。それは、幸福と呼ばれるものです。
そしてその時点とは、いまの自分よりもなりたい存在などない、いまいるこの場所よりもいたいところはないというときのことです。
それが、わかる時点です。

もうひとつ、あなたにとっての悲しみや苦痛が、他の存在の幸福であることがよくあります。
ここにいる人は誰でも自分の人生は幸せなのです。
皆そのことに気づいていないのですが、それは彼らの幸せの理想像というのが、ピーターパンのおとぎ話に出てくる妖精ティンカーベルよろしく、あちこち忙しく動きまわっては、すこしでも状況をよくしようと、あれを青に、これを紫にピンクにという具合に色を変えているピエロのような存在だからです。

ここにいる誰もが幸福です。
なぜなら、誰もが自分の意志にしたがって自分のしたいことをしているからです。
もし病気になりたければ、病気になっています。
もし不幸になりたければ不幸になっているのです。
それは、そうなりたいからで、そうなることが彼らを幸せにしてくれるからなのです。
無理に笑わせようとすると、突如として涙を流して泣き崩れてしまう人もいるくらいですから、ここにいる誰もが自己を表現し、生を楽しんでいます。
もしそうしていなかったら、一瞬のうちにその人は死んでしまうことでしょう。

そして、ときが来れば、皆、確かに死にますが、それは自分はそうしなければならないと思っているからです。
主よ、ある日あなたもまわりにいる皆を見ているだけで気づくことでしょう。
どんな形で自己を表現しているにしても、皆、限りなく幸せだな、と。

主:もうひとつ質問をしてもいいですか?
ほかの生で私がいろいろな人間だったと言われましたが、過去世で私がどんな人間だったかを教えてもらえるでしょうか。

ラムサ:主よ、もしあなたの「記録」と呼ばれているものをすべて詳細にわたって取り出し、それを話そうとしたら、あなたの次の生までここにいることになってしまうでしょう。
あなたの生の数は、二万三百四十六・・・と半分です。
ですから、あなたの過去について語るなら、どの時代の、どの国で、どの幻像についてなのかを決めてもらわなくてはなりません。
そうすればそれを取り出してくることができます。

しかし、主よ、自分の人生が凡庸で感情に欠けていると思っている人たちの多くが、過去に凝った想像を働かせていることに私は気がつきました。
過去には、彼らが今の生にないと感じている人生の躍動感、あるいは自愛の念があると見ているからです。
そして、過去についてこれ以上はないと思えるほどロマンチックで英雄的な空想をします。
ここでの人生が退屈でつまらないものであるとき、自分は戦で勇敢に戦い、自分のために泣いた女をたくさん残してきたのだといつでも結論づけることができるからです。
そして自分が凱旋してきたときには、町中がこれを祝い、そのお祝いは長い長い時間続いたというわけです。
あるいは、その時代、自分は世界中のどんな女性よりも美しく、あらゆる男性は自分の恋人だったというのかもしれません。

さて、これは皆に理解してほしいことです。
皆はそれぞれ数多くの生を生きてきました。
その生は、華々しくてロマンチックなものであり、みじめで野蛮なものであり、有名人であり、悪名高い人間でもありました。
しかし、過去のすべての自分も、いまのあなたほど偉大ではなかったのです。

このいまという瞬間、主よ、あなたはこれまでで最も偉大な存在なのです。
なぜなら、いまのあなたは、これまで生きてきたすべての生の知識と体験の集大成であるからです。
主よ、いまというのが、これまであったすべての目的だったのです。

いまの自分の仮面や幻像や体験にかかわらず、あなたが現在のあなたほど優れた存在であったことはこれまでないのです。
あなたがいま、有している智慧、知識、そして愛は、これまでよりもずっと大きなものだからです。
もし私があなたを、五つ前の過去世まで「後退」させたとしたら、あなたは自分が誰だかわからないでしょう。
なぜなら、あなたは自己という要素を、過去の自己では認識できないところまで進化させてきたからです。
これまでに生きた生で自分だった人間が今日のあなたを見たとしたら、あなたのことを勇敢な人間、天才、異端者と呼ぶことでしょう。
あなたを「取り憑かれた」人間と呼ぶでしょう。
あなたの叡智が自分の時代のものよりもはるかに偉大だからです。

過去に自分がどんな人間だったかを見るのは賢いことではありません。
過去に答えを求めると、あなたは生のこの瞬間をけっして体験することはなく、いまが持っている未来についての答えも体験することはできません。
自分がうしろを向いているために、それがやってきても見ることができないからです。

主よ、あなたは過去に自分が誰だったのか知りたがっているというのに、いまの自分が誰かさえ知らないのです。
過去に自分が生きてきたことを知るのはいいことです。
それはこれからやってくる明日に希望を
持たせてくれるからです。
しかし、そういうすべての体験に生きていた根本的な美は、あなたの内面でいまでもまだ静かに考えながら、ある悟りへと目覚めるのを待っています。
自分は、好きなように生を創造し、自分の命を満たしていく力と選択を持つ偉大なる神なのだという悟りなのです。

このいまという瞬間に生きることを学ぶことです。
いまというときは、いわば処女領域なのです。
何でも許される瞬間なのです。
あなたが自分の態度を通して、その処女領域である時間を、自分がこうだと決めたものにするのです。
不愉快になったり、苦痛や悲しみを感じたり、みじめになったりすることもできます。
それはすべてほんの一瞬でできることなのです。

あるいは、次の瞬間に自分の態度を変え、美しく、自由で魅惑的、幸せでよろこびと歓喜にあふれる自分になることもできます。
すべてはその瞬間に起きることです。さらに次の瞬間には、前の二つにはまったく影響されず、厳粛、聡明で、何にでも一生懸命取り組み、良心の阿責の意識を持つ人間になるなど、とにかく何でも自分が望むものになれるのです。

大事なことは、いまの自分が誰なのかを知り、この人生で幸せになるよう何か行動を起こすことです。
もし将来の生で、今回の生を覚えていてほしいと思うなら、一つひとつの瞬間を感慨深いものにして、魂の内でそれがいつもあざやかなままで残るようにするのです。
無限へと生きていくことを願うなら、まずこの瞬間の一つひとつをフルに生きることを学ばなくてはなりません。

主:私の未来には何が見えるか教えてもらうことはできるでしょうか。

ラムサ:あなたが未来に誰になるかですか?
あなたはいつもあなたのままです。
目や皮膚の色、それに顔となる仮面は変わりますが、あなたはいつもあなたなのです。
いつも同じ魂、存在の中に同じ神、同じ精神を持っています。
次の生では、それが何であろうと、あなたが自分で演じようと決めた幻像の人物となります。
そしてもしそれがこの地上界であれば、あなたは出生の過程を通り、自分独自の計画にもとづいて子宮の果実を創造して、その存在の中であなたが自分のために設定したゲームや幻影をすべて満たすようにしていくのです。

あるいは、単に幻はなしで、さらに偉大なる叡智へと進んでいくこともできます。
主よ、いまという瞬間に生きることを学びなさい。
この人生で堂々たる存在となり、あなたを体験するのです。
風に乗り、想念で月へと航海しなさい。
あなたのすばらしき想念を太陽のもとに置き、あなたが誰かを知らしめるのです。
星の上に腰かけなさい。
水に語りかけるのです。
それがすべてあなたであり、すべて神であり、すべて生というものなのです。

主:ありがとうございます。
最後の質問がひとつあります。
私がどの次元に進もうとしているのか教えてもらえるでしょうか。

ラムサ:神へ、です。
自分の「神なる状態」へと進んでいるのです。
神であることに向かって進んでいるのです。
自分の神なる状態を進化させているのです。
あなたはこの場所に神としてやってきて、飢えや暑さや寒さ、それに領土の境界線など、肉体界のもろもろに巻き込まれてしまいました。
そして、自分の神性、力、それにすべてを内包し、すべてよりも賢い知性である自分の姿を忘れ去ってしまったのです。
それがあなたとこの次元とのつながりをつくり出しましたが、この次元もまた第七のレベルに向かって進化しているのです。

あなたは第七の叡智、つまりすべての内にある神を知るという次元に向かって進んでいます。
そして、その知識の頂点にあるのが、それを与える者、つまりあなたなのです。
完壁にそうなのです。

主:そうでありますように!

ラムサ:そうなるべくして、なるのです。

『ラムサ―真・聖なる預言』
    (ラムサ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

精神世界ランキング
 ↑誰も押さない?
押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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