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単純であること―葛藤からの自由

ものごとを気楽に、しかし内面的には充分に機敏に受けとめるように試みてごらんなさい。

あなたの内面および外面で何が起こっているかに充分に気づくことなく過ぎ去らせないようにすること。
しばしばこれは敏感であること、一つまたは二つのものではなく、あらゆるものに敏感であることです。
美に敏感にし、醜に逆らうことは、葛藤の元です。
よく観察してみれば、精神が常に判断している―これは良くそれは悪い、これは黒でそれは白だ―こと、人々を判断し、比較考量し、計算していることがわかるでしょう。

精神は絶えずせわしないのです。
精神は、判断したり、計算したりせずに見守り、観察することができるでしょうか?
命名せずに知覚し、精神がそうすることができるかどうかただ見てみてください。

これを試みてください。
精神に無理強いせず、それが自己観察するようにさせてください。

単純たるべく試みるほとんどの人は外面から始め、持ち物を捨てたり、放棄したりしようとします。
が、内面的には彼らの存在の複雑さは残るのです。
内面的単純さがあるとき、外面は内面と呼応するようになります。
内面的に単純であることは、より多くのものを得ようとする衝動から自由なことですが、それは〈あるがまま〉に満足するという意味ではありません。

より多くのものを得ようとする衝動から自由なことは、時間、進歩、到達の見地で考えないことです。
単純であることは、精神がすべての結果から自由になること、すべての葛藤を免れて空っぽになることです。
これが真の単純きです。

いかに精神は美と醜の間で格闘し、一方に固執し、他方を脇へ押しやることか。
この葛藤は精神を鈍感で排他的にします。
美と醜の間に漠然とした境界線を見出そうとする精神の側のいかなる試みも、なお一方または他方の一部です。

思考は、いかにあがこうと反対物(美醜、善悪、など)から自由になることはできません。
思考はそれ自身の活動から自由になることはできないのです。
それができることはただ、選ばず、静かにしていることだけです。

選択は葛藤であり、ゆえに選択をするとき、精神はそれ自身の混乱に舞い戻るのです。

精神の静謐は二元性からの自由から起こるのです。


『しなやかに生きるために―若い女性への手紙』
    (J.クリシュナムルティ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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