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自由は自由が不可欠だという知覚から生まれる


自分自身の内面に深く、充分に探りを入れるためには、自由の感覚が必要です――終わりにではなく、まず初めに。

が、いかにしてその自由に達したらいいかと尋ねないでください。
いかなる瞑想方式、いかなる書物、いかなる薬物、皆さんが自分自身にしかけることができるいかなる心理的トリックも皆さんに自由を与えないでしょう。
自由は、自由が不可欠だという知覚から生まれるのです。

自由が不可欠だということを皆さんが知覚するやいなや、皆さんは反抗――この醜悪な世界、いっさいの正統派的慣行、伝統への反抗、そして政治的、宗教的指導者たちへの反抗――の状態に入ります。
精神の枠内での反抗はすぐに萎縮してしまいますが、しかし自由が不可欠であることを皆さんが自分自身で知覚するときに生まれ出る永続的な反抗があるのです。

あいにく、私たちのほとんどは自分自身に気づいていません。
私たちは、自分の技能や仕事を一考したのと同様に、自分の精神の状態を一考したことがけっしてないのです。
私たちはけっして、本当に自分自身を見つめたことがありません。
私たちはけっして、自分自身の深みへと、打算なしに、事前の計画なしに、それらの深みから何かを捜し求めることなしに、さまよい入ったことがありません。
私たちはけっして、目的なしに自分自身の内部への旅に乗り出したことはないのです。

人が動機、目的を持つやいなや、人はその奴隷になり、自由に自分自身の内部をさまようことができなくなります。
なぜなら、そのとき人は常に変化、自己改善の見地で考えているからです。
人は、自分自身の狭い、ちっぽけな精神の投影物である自己改善の柱に縛りつけられてしまうのです。

どうか私が言っていることをたんに言葉の上でではなしに熟考し、皆さん自身の精神、皆さんの内面の実状を観察してみてください。
皆さんが奴隷であるかぎり、神について、真理について、皆さんが聖典から学んだことについての皆さんのつぶやきは無意味です。
それはたんに皆さんの隷属を永らえさせるにすぎないのです。

が、もし皆さんの精神が自由の必要を知覚しはじめれば、それはそれ自身のエネルギーを生み出すでしょう。
するとそのエネルギーが、隷属から自由になろうとする皆さんの打算的努力なしに働くことでしょう。

そのように、私たちは個人の自由に関心があるのです。
が、(全体から不可分の存在としての真の)個人を発見することは非常に困難です。
なぜなら、私たちは現在のところそのような真の個人ではないからです。
私たちは自分の環境、文化の産物です。
私たちは自分が食べる物、自分を取り巻いている気候、習慣、伝統の産物だからです。
明らかにそれは個性ではありません。
思うに、精神を奴隷にする環境と伝統のこの侵食的な運動に人が充分に気づくときにのみ、個性が生まれ出るのです。

私が伝統、ある特定の文化の命令を受け入れているかぎり、私が自分の記憶、自分の経験――それらは結局、すべて自分の条件づけの結果なのですが――の重みを荷なっているかぎり、私は個人ではなく、たんなる産物にすぎないのです。


『自由とは何か』
    (J.クリシュナムルティ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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