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良いことをなさんと欲した政治家

彼は政治家だった、そして良いことをしようと欲していた。
彼は、自分自身が他の政治家たちに似ていないと感じている、と言った。
なぜなら彼は、人々の福祉、かれらの必要物、かれらの健康、そしてかれらの成長に、本当に関心があったからであると。
もちろん彼は野心的だったが、しかし誰がそうでなかったろうか?
野心は、彼をしてより活動的にさせるのを助けた。
そしてそれなしには、彼は怠惰になり、より多く他人のためになることはできないだろう。彼は閣僚の一人になることを望み、順調にそれに向かっていた。
そして彼がそうなった暁には、彼は自分の考えが実行されるよう計らうことだろう。
彼は世界中を旅し、さまざまな国を訪れて、いろいろな政府の計画を研究し、そして慎重な思索の後、彼は、真に自分の国のためになるであろうある計画を策定し終えていた。

「しかし今、私はそれをやり遂げられるかどうか分からないのです」と、はっきりとした苦痛を浮かべて言った。
「御覧の通り、私はこのところ、少しも元気がないのです。
医師たちは私に、くよくよしないようにと言うのですが、私は危険な手術を受けなければならないかもしれません。
しかし私は、この事態を受け入れることができないのです」

お尋ねするなら、何が、あなたがくよくよせずにいるのを妨げているのだろうか?

「私は、自分の残りの人生をずっと病弱者のままでいて、自分のしたいことができないという見込みを受け入れまいとしているのです。
私は、少なくとも言葉の上では、私がこれまで常としていたペースを保ち続けることはできないのだと、漠然と知っていますが、しかしもし私が床についていたら、私の計画は決して成就しないかもしれないのです。
当然ながら、ほかにも野心的な人々がおり、それは同族の殺し合いの問題なのです。
私は、あなたの集会に何度か出向いたことがあり、それで私は、お訪ねして、あなたといろいろ話し合いたいと思ったのです」

あなたの問題は、挫折のそれだろうか?
有用さと人気の凋落とともに、長い病気の可能性がある、そしてあなたは自分がこれを受け入れられないことを見出す。
なぜなら生は、あなたの計画の達成なしには全く不毛であるだろうからだ。
そういうことだろうか?

「すでに申しましたように、私は人並みに野心的ですが、しかし私はまた人のためになりたいのです。
これに反して、私は、実は、かなり具合が悪いのですが、しかし私には、この病気を認めることなどとてもできません。
ですから私の内部でつらい葛藤が進行しているのですが、そのことが、間違いなく私をよりいっそう具合悪くさせているのです。
また、別の不安があるのですが、それは、全員とも申し分なく扶養されている私の家族についてではなく、私が、自分自身に対してすら一度も言葉に出せずにきた何かへの恐怖なのです」

あなたは、死の恐怖を意味しておられるのだろうか?

「ええ、そうだと思います。
あるいはむしろ、自分が実行に乗り出したことを成就せずに終わることへの恐怖です。
たぶん、これが私の最大の恐怖なのです。
そして私には、それをどのようにして静めたらよいか分からないのです」

この病気は、あなたの政治的活動を全面的に妨げるだろうか?

「それがどんなだか、御存知のことと思うのですが。
私がものごとの中心にいないかぎり、私は忘れ去られ、そして私の計画は見込みがなくなることでしょう。
それは、事実上政治からの引退を意味することでしょうが、しかし私はそうするのがいやなのです」

それではあなたは、自分は引退しなければならないという事実を自発的かつ即座に認めるか、あるいは自分の病気の重さを知りつつ、これまで通り幸福にあなたの政治上の仕事を続けることができる。
いずれにせよ、病気はあなたの野心をはばむかもしれない。
生は非常に奇妙ではないだろうか?
示唆させていただくなら、なぜ、恨みなしに避けがたいものを認めようとなさらぬのか?
もし冷笑や恨みがあれば、あなたの精神は病気を悪化させてしまうことだろう。

「私は、このすべてに十分気づいているのですが、それにもかかわらず、自分の身体の状態を――あなたが示唆なさるように、幸福な気持ではとても――認めることはできません。
私は、たぶん、少しばかりの政治的仕事を続けていくことはできるでしょうが、しかしそれでは十分とはいえません」

あなたは、良いことをするというあなたの野心の達成があなたにとって唯一の生き方であり、そしてあなたとあなたの諸計画によってのみ、あなたの国が救われる、とそうお考えなのだろうか?
あなたが、この、おそらくは良い仕事の中心なのではないだろうか?
あなたは、本当は、人々の幸福に深く関心があるのではなく、あなたを通じて実現されるものとしての幸福に関心がおありなのだ。
あなたは、あなた自身をあなたの諸計画およびいわゆる民衆の幸福にあまりにも一体化なさったので、あなた自身の達成をかれらの幸福と思いこんでおられるのだ。
あなたの諸計画は優れているかもしれないし、たまたま運よく人々のためになるかもしれない。
しかしあなたは、あなたの名前をその良いことと一体化させることを欲する。
生は不思議なものである。
病気があなたを襲った。
そしてあなたは、自分の名前と重要性とを高めていく道をはばまれておられる。
これがあなたの内に葛藤を引き起こしているのだ、人々のためになれなくなるという心配がではなく。
そして単なる口先だけの好意に耽っているのでなければ、もしあなたが人々を愛しており、それは、意義深い助けになるであろうそれ自体の自らなる結果をもたらすことだろう。
しかしあなたはかれらを愛していない。
かれらは単に、あなたの野心と虚栄心の道具にすぎないのだ。
ためになることは、あなた自身の栄光へと向かっている。
どうか、これらすべての私の発言を気になさらぬように。

「私の心の奥深くに隠れているものごとをあなたがそれほど率直に表明なさったことは、私には本当にうれしいことです。
そしてそれは私のためになりました。
私は、どういうわけかこのすべてを感じてはいましたが、しかし一度も自分自身を直接それに面と向かわせようとしなかったのです。
それがそのようにはっきりと述べられるのを聞くことは、大きな救いです。
そして私は、自分が今や自分の葛藤を理解し、そして静めるだろうと思います。
事態がどのような結果になるか見てみますが、しかしすでに私は、白分の心配や希望に、わずかながら前よりとらわれていないのを感じます。
しかし、死についてはどうでしょうか?」

この問題は、より複雑であり、そしてそれは深い洞察を必要とするのではないだろうか?
あなたは死を合理的に説明することはできる――あらゆるものは死ぬ、春の新しい青葉は秋には吹き払われる、等々と言って。
あなたは死について論証し、そしてその説明を見出したり、意志によって死の恐怖を克服したり、あるいは恐怖の代用物としての信念を見出すことに努めることはできる。
しかしこのすべては、依然として精神の行為である。
そして、再生または死後の生の真理に関するいわゆる直覚は、単に存続への願望にすぎないかもしれない。
これらすべての推論、直覚、説明は、精神の領域内にあるのではないだろうか?
それらはいずれも、死の恐怖を克服するための思考の活動である。
しかし死の恐怖は、そうすなおに征服されるようなものではない。
国家、家族、名前や観念、あるいは信念によって存続しようとする個人の願望は、依然として彼自身の連続性への切望ではないだろうか?
自発的に、努力なしに、かつまた幸福に終わらねばならないのは、この切望と、その複雑な抵抗や希望なのである。

人は毎日、自分のすべての記憶、経験、知識および希望に対して死なねばならない。
満足や悔恨の蓄積、徳の集積は、刻々にやまねばならない。
これらは、単なる言葉ではなく、ありのままの事実の声明である。

連続するものは、決して未知なるものの至福を知ることはできない。
蓄積せず、毎日、毎秒死ぬことは、初めも終りもなくあることである。
達成への衝動と、その葛藤があるかぎり、そこには常に死の恐怖があることだろう。


『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2』 ・・・良いことをなさんと欲した政治家
    (J.クリシュナムルティ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

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究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

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魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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