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この、愛という問題

彼女は、政府の非常に高い地位、頂上ではないが、ほとんど頂上近くにいる、ある有名な人物の妻だった。
立派な身なりをし、静かな物腰の彼女は、権勢と富のあの特有の雰囲気、人に従われ、人に用を言いつけることに長いこと慣れた人間の落ち着きを備えていた。
彼女が言った一、二のことからして、夫の方が頭脳を持ち、彼女の方が推進力を持っていることは明らかだった。
二人合わせてかれらは出世したのだが、しかしより多くの権力と地位とがほとんどかれらのものになったちょうどそのとき、彼は直る見込みのないほどの病に倒れてしまったのである。

ここまで話すと、彼女はほとんど続けることができなくなり、涙が頬をころがり落ちた。
彼女は、にこやかな落ち着きとともに入ってきたのだが、しかしそれは急速に消え失せてしまった。
深く坐って、彼女はしばらく沈黙し、それから次のように続けた。

「私は、あなたのお話のいくつかを本で読みました、
そして一、二度講話に出席したこともあります。
あなたのお話を聞いている間は、あなたのおっしゃったことは貴重でした。
しかしこれらのことは、すぐに思い出せなくなり、そして本当に困り果ててしまった今、ここをお訪ねして、あなたにお会いしようと思ったのです。
きっとあなたは、何が起こったか御理解下さると思います。
夫は致命的に病んでいます。
そして私たちの生活と仕事の対象だったあらゆるものが、こなみじんになりつつあります。
党とその仕事は続くでしょうが、しかし・・・。
医師たちも看護婦たちもいますが、私は、自分自身で夫の世話をしてきました。
そしてここ数カ月というもの、私はほんのわずかしか睡眠をとりませんでした。
夫を失うことは私には耐えられません。
医師たちは、彼の回復の見込みはほとんどないと言っていますが。
私は、これについてよくよく考えてきました。
そして心配のあまりほとんど病んでいます。
私たちには子供がいません、御存知かと思いますが。
そして私たちは、お互いにとってとても重要でした。
そして今・・・」

あなたは、本当にものごとを話し合い、調べてみることをお望みだろうか?

「私の気持はひどく絶望的で、混乱しています。
自分がまじめに考えることができるとは思えません。
しかし私は、私自身の内面である種の明晰に至らねばなりません」

あなたは、御主人を愛しておられるだろうか、
あるいはあなたは、彼を通じて生まれたものごとを愛しておられるのだろうか?

「私は愛しています・・・」
彼女は、ショックのあまり続けられなかった。

どうか質問を冷酷だと思われぬように。
あなたは、それに対する真の答えを見出さねばならないのである。
さもなければ悲嘆は常にそこにあることだろうから。
その質問の真理をあばくことのうちに、愛とは何かの発見があるかもしれないのである。

「私の現状では、私にはそのすべてを考え抜くことはできません」

しかし、この愛という問題は、あなたの精神を通過してきたのではないだろうか?

「かつて、たぶん。
でも私は、すみやかにそれを離れ去ってしまいました。
夫が病気になる以前は、私には常にすべきことがたくさんありました。
そして今は、もちろん、考えることはすべて苦痛です。
私は、夫に伴っていた地位と権力のゆえに、彼を愛したのでしょうか、
または私は、単に夫を愛したのでしょうか?
私はすでに、まるでもう夫がいないかのように、彼について話しています!
私は、本当は、どんなふうに彼を愛しているのか、知らないのです。
現在私はあまりにも混乱しているので、私の頭は働こうとしません。
できれば、私は、またの機会に戻ってきたいと思います、
たぶん避けえないものを受け入れた後に」

指摘させていただくなら、受け入れることもまた、一種の死である。

数カ月後、われわれは再会した。
新聞は一時、彼の死のことでいっぱいだったが、もう今はそれも忘れ去られていた。
彼の死は彼女の顔の上に痕跡を残した。
そしてすぐに苦い思いと怨恨が、彼女の話の中に顔を出した。

「私は、これらすべてのことについて、誰にも話しませんでした」
と彼女は説明した。
「私は自分の過去の活動のすべてから、ただ退き、そして田舎にうずもれたのです。
それはつらいことでした。
これからいろいろと話させていただきますが、どうか気になさらないで下さい。
一生私は、とても野心的でした。
そして結婚する前には、あらゆる種類の善行に没頭していました。
結婚して間もなく、また大部分は夫のゆえに、私は慈善行為のけちくさい論争を去って、一意専心、政治に飛びこんだのです。
それは、ずっとはるかに広い闘争の領域でした。
そこで私は、浮き沈み、陰謀、さらに嫉妬など、それを存分に楽しんだのです。
私の夫は、物静かさの中に才気があふれていました。
そして私の精力的な野心とともに、私たちは常に上へ上へと登っていったのです。
私たちには子供がおりませんでしたので、私の時間と考えは、ことごとく夫の助成に当てられました。
私たちは、見事に共同して働いたのです。
並々ならぬ仕方でお互いに補い合いながら。
万事が私たちの計画通りに運びましたが、でも私は常に、何もかもうまくいきすぎているという、じりじりするような恐怖を持っていました。
やがてある日、二年前のことですが、夫がある小さな病のことで検査されていたとき、医師が言ったのです。
ただちに検査されなければならない腫揚がある、と。
それは悪性でした。
しばらくは、私たちは、一切のことを全くの秘密にしておくことができました。
しかし、六カ月前、それは、そっくり再発したのです。
そしてそれは非常に苛酷な試練でした。
私がこの前あなたをお訪ねしたとき、私は弱りきっていて、またあまりにもつらくて考えることができないほどでしたが、しかしたぶん今は、もう少し明晰にものごとを見つめることができると思います。
あなたの質問は、あなたにはとてもお伝えできないほど、私の心を乱しました。
覚えておられることと思いますが、あなたは私に、私が、夫を愛しているのか、それとも彼に伴っていたものごとを愛しているのか、とお尋ねになりました。
私は、それについてずいぶんと考えてみました。
でも、それは、自分自身で答えるにはあまりに複雑な問題なのではないでしょうか?」

たぶん。
しかし、愛とは何かを見出さないかぎり、人には常に苦痛と悲しい失望とがあることだろう。
そしてどこで愛が終わり、混乱が始まるかを発見することは、困難なことではないだろうか?

「あなたは、夫への私の愛が、地位や権勢への私の愛と混じり合っていないかどうかを尋ねていらっしゃるのですね。
夫が私に、私の野心達成のための手段を与えたので、それで私は夫を愛したのでしょうか?
部分的には確かにそうであり、そしてまた当人への愛でもあるのです。
愛は、とても多くのものの混合物なのです」

誰か他人との完全な一体化があるときが愛なのだろうか?
そしてこの一体化は、自分自身に重要性を与えるための遠回しなやり方なのではないだろうか?
孤独の悲嘆、一見したところ生に意義を与えていた物事をはぎ取られることの苦痛があるとき、それが愛だろうか?
自己達成のさまざまな道、自分が生きる上で頼りにしていたものごとを絶たれることは、自尊の否定であり、そしてこれは幻滅、苦い思い、孤立の不幸をもたらす。
そしてこの不幸は愛だろうか?

「あなたは私に、私は夫を少しも愛していなかった、とそう言おうとしていらっしゃるのではありませんか?
私は、あなたがそのような言い方でおっしゃると、自分自身に本当にぎょっとします。
そして、それ以外にはそれを表現するための言い方はないのです。
そうなんですね。
私は決して、これらすべてについて考えたことはありませんでした。
そして打撃を受けて初めて、私の生に真の悲しみが生まれたのです。
もちろん、子供を持たなかったことは、大きな失望のもとでしたが、しかしそれは、私が夫と仕事を持っているという事実によって和らげられていました。
思うに、それらが私の子供になったのです。
死には、恐るべき結末があります。
突然、私はひとりきりになったのです。
何一つすべき仕事もなく、脇にやられ、そして忘れ去られて。
私は、今、あなたのおっしゃることの真理が分かります。
しかしもしあなたがこれらのことを、三、四年前の私に言われたら、聞こうとはしなかったことでしょう。
今でも私は、自分があなたのお話を傾聴してきたのか、それとも自分自身を正当化するための理由を捜し出そうとしていたのか、疑わしい思いです」


『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2』 ・・・この、愛という問題
    (J.クリシュナムルティ 著)
  ・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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