幸福の七ヵ条
(幸福観察学会は)水木サンが何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵を世に広めることを目的としています。
そうです。それが次に紹介する「幸福の七ヵ条」であります。
幸福の七ヵ条
第一条:成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない
第二条:しないではいられないことをし続けなさい
第三条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし
第四条:好きの力を信じる
第五条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
第六条:怠け者になりなさい
第七条:目に見えない世界を信じる
さて、この七ヵ条を一つひとつ、語ることにしましょうか。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない
古今東西の「あの世」のことを調べていて、気づいたことがあります。
地獄の様子は場所とか民族とかによってさまざまに異なっていて、それぞれ迫力と現実感に満ちているのに対して、天国の方は世界中ほとんど同じです。
実に単純なんです――美しい川が流れ、薄物をまとった美女がいて、おいしそうな食べ物があふれている。
環境が悪くなったのに目をつぶれば、まさに、長い不況で暗く沈んだ今の日本こそ、天国ではありませんか!
それなのに現代の人たちは、悲壮な顔をしてあくせく働いています。
まるで日本全体に貧乏神が取りついたようなあんばいです(笑)。
一生懸命がんばっても、報われない人たちが多いのでしょうネ。
そういう悲壮な顔をした人たちは、成功や栄誉や勝ち負けにこだわって、仕事でも趣味でも恋愛でも、熱中することを忘れてしまったんじゃないのでしょうか。
好きなことに没頭する、そのこと自体が幸せなはずなのに・・・。
もちろん、成功するにこしたことはないのですが、成功できるかどうかは時の運です。
思い起こせば、水木サンのベビイのころの教育は、「成功者こそ幸せ」という感じでした。
今でもそうかもしれませんネ。
出世して有名になって栄誉を得て、人生の勝利者になるのが一番いいこと、といった具合です。
戦争の影響で世の中が勇ましかったから、よけいそうなったのかもしれません。
でも、水木サンは納得できませんでした。
冒頭にも書きましたが、水木サンが漫画で食えるようになったのは四十歳を越えてからです。
ベビイのころからあこがれていた絵で食う暮らしにたどり着き、命の次に大事な眠りすら削って、うんと頭をしぼって、漫画にかじりついてきました。
つい先ごろ、勲章をもらいましたが、だからといって成功したとも、栄耀栄華をきわめたとも、勝ったとも思いません。
でも、満足しているのです。
不幸な顔をした人たちは、「成功しなかったら、人生はおしまい」と決め込んでいるのかもしれません。
成功しなくてもいいのです。
全身全霊で打ち込めることを探しましょう。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい
さて、打ち込めることを真剣に探そうとするマジメな人たちには、案外それが見つからないものです。
実は、見つけるにはコツがあるのです。
簡単なことですヨ。
好奇心を大事にしましょう。
好奇心がわき起こったら、とことん熱中してみる。
これが近道であります。
そうすると、「しないではいられないこと」が姿を現してきます。
それでも、姿を現さないなら、ベビイのころを思い出してみましょう。
無我夢中で遊びや趣味に没頭したころを思い浮かべてみるのです。
水木サンがベビイのころ打ち込んだ趣味の数々(何と、今も飽きずに続けていることも多いのです)は、この後の「私の履歴書」にくわしく書きました。
もろ手を挙げて幸福だったのが子どものころです。
自らの好むことだけに脇目もふらずに邁進していたからです(笑)。
遊びやイタズラに明け暮れ、質素だけれどもうまい母の手料理をぱくぱく食べて満腹して、兄と弟と三人で雑魚寝して眠る。
あるいは昼寝から覚め、キセルに詰まったヤニを掃除する羅宇(らう)屋が鳴らす「ぺー」という汽笛の音色を聞きながら、何をして愉快にすごそうかと頭をひねった日々。
水木サンの幸福の原点です。
ベビイのころは誰もが、好きなことに没頭して生きていたはずです。
そうです、人間は好きなこと、すなわち「しないではいられないこと」をするために生まれてきたのです。
初心に返って、仕事にあらためて喜びを見出すのもいいし、ずっとやりたかったのに我慢していた趣味をやってみるのもいいでしょう。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すベし
我を忘れて没頭できること、ホンキで夢中になれることは、どんなにアホなことでもいいのです。
周囲の目や評判を気にして「世間のルール」に合わせようなどとしてはいけません。
世間の常識から外れたことをすると、つらい目に遭ったり、恥ずかしい思いをすることもあるでしょう。
それは甘んじて受ける。
忍耐もする。
あなたは好きなことをやっているのですから。それが楽しければ、世間との食い違いが起きても慌てず騒がず、ひたすら自分の道を進めばいいのです。
他人の思惑などに振り回されず、自分のやりたいように生きる。
外の世界にいちいち対応せず、自分の世界の流儀でやればいい。
まあ、ある意味で、虫の世界観と同じです。
人間の場合、これをトコトンまでやっていくと、「奇人」とか「変人」と呼ばれることになります。
ある人が、「水木サンは奇人変人のタイカ(大家)だ」と言ってくれましたが、
実際、水木サンが長年にわたって古今東西の奇人変人を研究した結果、
彼らには幸福な人が多いことが分かりました。
水木サンは「奇人は貴人」だと考えています。
そして、漫画にも大勢の奇人変人を描いています。
こうした人たちには、好奇心の塊のような、我が道を狂信的なまでに追求している人が多い。
つまり、誰が何と言おうと、強い気持ちで、わがままに自分の楽しみを追い求めているのです。
だから幸せなのです。
さあ、あなたも、奇人変人になりましょう。ワッハツハ。
第四条 好きの力を信じる
水木サンの職業である漫画家は、売れなければ終わりの冷酷な世界です。
何とか売れるようになった後も、ヒット作をひねり出し、マネーを獲得しないと食っていけないのです。
普通の心臓ではもちません。
よほど好きでないとつとまりませんよ、ホントに。
筋を考えるのが漫画家の生命線です。
水木サンははっきり言って、その努力は惜しみませんでした。
紙芝居から貸本漫画家をへて少年雑誌で食えるようになるまで、いや、今でも続けています。
なにしろ、漫画が好きだからです。
水木サンは売れなかった時代でも、原稿料の大半は、漫画の筋を考えるのに役に立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。
食べ物を買うお金も満足に残りませんでしたが、それだげ「好き」の力が強かったのです。
ところが、同業者の家に行くと、本なんか一冊もない人たちも少なくありませんでした。
面白おかしく、楽しみながら好きな漫画を描いて、楽して暮らしたいという人たちです。
はっきり言って、ほとんどが消えていきました。
たぶん「好き」のパワーが弱かったのです。
水木サンが幸福だと言われるのは、長生きして、勲章をもらって、エラクなったからなのか?
違います。
好きな道で六十年以上も奮闘して、ついに食いきったからです。
ノーベル賞をもらうより、そのことのほうが幸せと言えましょう。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
好きなことにのめり込み、才能が開花してどんどん伸びたとします。
でも、食べていくのは大変です。
なかなかもうかるもんじゃない。
努力に見合うマネーはなかなか得られないのです。
だからといって、絶望したり、悲観したり、愚痴をこぼしてはいけません。
ただただ、努力するのです。
そうです、好きな道なのですから。
栄光や評価など求めず、大好きなことに熱中する。
それ自体が喜びであり、幸せなのです。
水木サンの場合、それが漫画を描くことでした。
その行為が金銭的に報われる方がいいに決まっていますが、結果の善し悪しには運がつきまといます。
水木サンには貸本漫画家をやっていたころ、描いても描いてもちっとも売れず、版元から「貧乏神」扱いされていた時期があります。
「水木しげる」のペンネームを、版元が勝手に別の名前にしてしまったことさえあるんですよ(笑)。
いやあ、あのころはホントに必死で努力したけど、ちっとも報われなかった。
それがどうです、今、古本屋を冷やかしていると、あの「貧乏神」扱いのころの水木サンの貸本漫画が、何十万円もの値札をつけて売られているではありませんか!
第六条 怠け者になりなさい
自分の好きなことを自分のぺースで進めていても、努力しなくちゃ食えん、というキビシイ現実があります。
それに、努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。
だから、たまには怠けないとやっていけないのが人間です。
ただし、若いときは怠けてはだめなのです!
何度も言いますが、好きな道なのですから。
でも、中年を過ぎたら、愉快に怠けるクセをつけるべきです。
水木サンは理想の怠け者生活の模範として、猫とつげ義春さんをあがめていました。
猫もつげさんも天才だから、なかなかマネできません(笑)。
死なない、病気にならない、働かなくてすむ――。
水木サンはベビイのころから、こうした楽しい世界を心の中でずっといじくってきました。
そうです、現実とはまったく逆の、怠け者の世界です。
人間として生まれた以上、一度は経験してみたい憧れの世界です。
戦争中に知ったラバウルのトライ族の世界は、そんな水木サンの憧れの暮らしを見事に実践していました。
貧しくても、これこそが文明人の求める幸福だと思い、戦争が終わった時には、この楽園に永住しようとホンキで考えました。
残念ながら南方に永住する夢はかないませんでしたが、復員して何とか食えるようになってから、付き合いを再開しました。
連載の本数を減らして、世界中の楽園や妖怪の棲み処を訪ねる「世界妖怪紀行」も始めました。
今までに七十八回も世界中を旅していて、これが水木サンの最大の「怠け術」です。
毎回、本当に楽しく、あまりにもわくわくするので、片目をつぶって休ませることさえあります(笑)。
両目をあけていると、愉快すぎて疲れてしまうからです。
太古から伝わる踊りがあると、見物しているうちに自然に踊りの輪に加わります。
我知らず、「きゃー」なんて奇声を発して、陶酔します。
大地からわき出し、天から降ってくるようなリズムが、水木サンの全身全霊を揺さぶり動かすのです。
「世界妖怪紀行」は怠け紀行でもありますが、元気になります。
ときどき怠けることは、生きていくうえで大切なことです。
そして、仕事でも役立つのです。
第七条目に見えない世界を信じる
世の中には、人間の五感ではつかまえられないものがいます。
世の中には「見える世界」のほかに「見えない世界」が広大無辺に広がっているのです。
そこには「目に見えないもの」がたくさんいます。
水木サンの目にも見えないけれども、感じます。
確かに蠢(うごめ)いているのです。
地獄や極楽、妖怪、精霊、憑き物・・・。
すべて、目には見えないものです。
その代表である妖怪たちは、電灯やネオンの光に棲み処を奪われて絶滅の危機に瀕していて、現代人はその存在を忘れ去ろうとしています。
これは大いに問題です!
いろいろな文献を読むと、かつて妖怪が盛んに活動していた昔は、現代にはない充実感のようなものが山野に満ちあふれていたようなのです。
その存在感が薄れるとともに、人間はつまらなくなったようです。
ベビイのころから並外れて妖怪感度が強かった水木サンは戦争中、死のことばかり考えていました。
実際、何回も死にかけました。
ふまじめな陸軍の二等兵だった水木サンは、上官から「死ね」「死ね」と言われ続け、危ない方へ、危ない方へと行かされました。
生き残ったのは奇跡です。
あまたの幸運のひとつでも外れていたら、間違いなくあの世行きでした。
たぶん「目に見えない何者か」が生かしてくれたのでしょう。
目に見えないものがいると思うと、水木サンの心は妙に落ち着き、気持ちが和み、元気に幸せになります。
そうです、彼らは人類を活気づけ、生き生きとさせる不思議な力を持っているのです!
あなたも目に見えないものを信じることで、彼らから元気と幸福を授けてもらえることでしょう。
そんなわけで水木サンは最近、「国立不思議大学」を創設して初代学長兼妖怪学部長に就任したいと、マジメに考えているのです。
「憑依学専攻コース」を作って、憑き物について本格的に研究するのです。
何でも合理的にしてしまうと、人間は満たされません。
世間に流布する認識能力や価値観ではつかまえきれない、さまざまなことがらが解明されれば、必ずや人類の幸福に貢献するはずです。
さて、幸福観察学会による「幸福の七ヵ条」はいかがでしたか?
幸福を手に入れるのは実にタイへンですが、しかし大切なのはその人の生き方次第である、ということが分かったのではないでしょうか。
ここで最後に、水木サンの人生の大師匠、ゲーテ大先生にご登場願うことにします。
水木サンは徴兵に取られて戦地へ送られるときに、文庫本の『ゲーテとの対話』を雑嚢(ざつのう)に忍ばせていったほどの大ファンなのです。
大先生は八十三歳で亡くなるとき、
「ああ、この部屋は暗い。光がほしい、もっと光を!」と言いました。
この遺言は有名ですが、それ以外にも人生のあれこれについて珠玉の格言を残しています。
幸福論に関するものとしては、たとえば――。
「結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかった。
七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった」
分かります、この気持ち(笑)。
先生はその前の年、七十四歳で十九歳の女性に求婚します。
生涯、恋に生きた大先生でした(ウラヤマシイ)。
でも、このときはあっさり断られます。
この失恋の痛手が言わせた言葉なのかもしれません。
そうかと思えば、こんなことも言っています。
「いつも遠くへばかり行こうとするのか?
見よ、よきものは身近にあるのを。
ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ」
いい言葉です。
「人間は落ちるところまで落ちると、もはや他人の不幸を喜ぶ以外楽しみはなくなってしまう」
なんて格言も残しています。
一転して辛辣(しんらつ)ですが、人間の真実を鋭く衝いています。
「世の中のことは何でも我慢できるが、打ち続く幸福な日々だけは我慢できない」
さすがは世界的な詩人、小説家として膨大な作品を残す一方で、ワイマール公国の首相を務めた人です。
結局、幸福に安住してはいけないのです。
だいぶ話があちらこちらに飛んでしまいましたが、分かったようで分からない水木サンの幸福論、これにて店じまいです。
なお、実は巻末に「わんぱく三兄弟、大いに語る」という特別付録があって、水木サンの幸せに満ちあふれたベビイ時代の話を満載しています。
幸福を求める読者のみなさんの参考になるでしょうから、ぜひ読んでみてください。
最後に蛇足のひと言。
幸福に関する水木サンのテツガク的論考は、あの世に行くまで、いやホントにあの世へ行っても続くのです。
『水木サンの幸福論』
(水木しげる 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
そうです。それが次に紹介する「幸福の七ヵ条」であります。
幸福の七ヵ条
第一条:成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない
第二条:しないではいられないことをし続けなさい
第三条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし
第四条:好きの力を信じる
第五条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
第六条:怠け者になりなさい
第七条:目に見えない世界を信じる
さて、この七ヵ条を一つひとつ、語ることにしましょうか。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない
古今東西の「あの世」のことを調べていて、気づいたことがあります。
地獄の様子は場所とか民族とかによってさまざまに異なっていて、それぞれ迫力と現実感に満ちているのに対して、天国の方は世界中ほとんど同じです。
実に単純なんです――美しい川が流れ、薄物をまとった美女がいて、おいしそうな食べ物があふれている。
環境が悪くなったのに目をつぶれば、まさに、長い不況で暗く沈んだ今の日本こそ、天国ではありませんか!
それなのに現代の人たちは、悲壮な顔をしてあくせく働いています。
まるで日本全体に貧乏神が取りついたようなあんばいです(笑)。
一生懸命がんばっても、報われない人たちが多いのでしょうネ。
そういう悲壮な顔をした人たちは、成功や栄誉や勝ち負けにこだわって、仕事でも趣味でも恋愛でも、熱中することを忘れてしまったんじゃないのでしょうか。
好きなことに没頭する、そのこと自体が幸せなはずなのに・・・。
もちろん、成功するにこしたことはないのですが、成功できるかどうかは時の運です。
思い起こせば、水木サンのベビイのころの教育は、「成功者こそ幸せ」という感じでした。
今でもそうかもしれませんネ。
出世して有名になって栄誉を得て、人生の勝利者になるのが一番いいこと、といった具合です。
戦争の影響で世の中が勇ましかったから、よけいそうなったのかもしれません。
でも、水木サンは納得できませんでした。
冒頭にも書きましたが、水木サンが漫画で食えるようになったのは四十歳を越えてからです。
ベビイのころからあこがれていた絵で食う暮らしにたどり着き、命の次に大事な眠りすら削って、うんと頭をしぼって、漫画にかじりついてきました。
つい先ごろ、勲章をもらいましたが、だからといって成功したとも、栄耀栄華をきわめたとも、勝ったとも思いません。
でも、満足しているのです。
不幸な顔をした人たちは、「成功しなかったら、人生はおしまい」と決め込んでいるのかもしれません。
成功しなくてもいいのです。
全身全霊で打ち込めることを探しましょう。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい
さて、打ち込めることを真剣に探そうとするマジメな人たちには、案外それが見つからないものです。
実は、見つけるにはコツがあるのです。
簡単なことですヨ。
好奇心を大事にしましょう。
好奇心がわき起こったら、とことん熱中してみる。
これが近道であります。
そうすると、「しないではいられないこと」が姿を現してきます。
それでも、姿を現さないなら、ベビイのころを思い出してみましょう。
無我夢中で遊びや趣味に没頭したころを思い浮かべてみるのです。
水木サンがベビイのころ打ち込んだ趣味の数々(何と、今も飽きずに続けていることも多いのです)は、この後の「私の履歴書」にくわしく書きました。
もろ手を挙げて幸福だったのが子どものころです。
自らの好むことだけに脇目もふらずに邁進していたからです(笑)。
遊びやイタズラに明け暮れ、質素だけれどもうまい母の手料理をぱくぱく食べて満腹して、兄と弟と三人で雑魚寝して眠る。
あるいは昼寝から覚め、キセルに詰まったヤニを掃除する羅宇(らう)屋が鳴らす「ぺー」という汽笛の音色を聞きながら、何をして愉快にすごそうかと頭をひねった日々。
水木サンの幸福の原点です。
ベビイのころは誰もが、好きなことに没頭して生きていたはずです。
そうです、人間は好きなこと、すなわち「しないではいられないこと」をするために生まれてきたのです。
初心に返って、仕事にあらためて喜びを見出すのもいいし、ずっとやりたかったのに我慢していた趣味をやってみるのもいいでしょう。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すベし
我を忘れて没頭できること、ホンキで夢中になれることは、どんなにアホなことでもいいのです。
周囲の目や評判を気にして「世間のルール」に合わせようなどとしてはいけません。
世間の常識から外れたことをすると、つらい目に遭ったり、恥ずかしい思いをすることもあるでしょう。
それは甘んじて受ける。
忍耐もする。
あなたは好きなことをやっているのですから。それが楽しければ、世間との食い違いが起きても慌てず騒がず、ひたすら自分の道を進めばいいのです。
他人の思惑などに振り回されず、自分のやりたいように生きる。
外の世界にいちいち対応せず、自分の世界の流儀でやればいい。
まあ、ある意味で、虫の世界観と同じです。
人間の場合、これをトコトンまでやっていくと、「奇人」とか「変人」と呼ばれることになります。
ある人が、「水木サンは奇人変人のタイカ(大家)だ」と言ってくれましたが、
実際、水木サンが長年にわたって古今東西の奇人変人を研究した結果、
彼らには幸福な人が多いことが分かりました。
水木サンは「奇人は貴人」だと考えています。
そして、漫画にも大勢の奇人変人を描いています。
こうした人たちには、好奇心の塊のような、我が道を狂信的なまでに追求している人が多い。
つまり、誰が何と言おうと、強い気持ちで、わがままに自分の楽しみを追い求めているのです。
だから幸せなのです。
さあ、あなたも、奇人変人になりましょう。ワッハツハ。
第四条 好きの力を信じる
水木サンの職業である漫画家は、売れなければ終わりの冷酷な世界です。
何とか売れるようになった後も、ヒット作をひねり出し、マネーを獲得しないと食っていけないのです。
普通の心臓ではもちません。
よほど好きでないとつとまりませんよ、ホントに。
筋を考えるのが漫画家の生命線です。
水木サンははっきり言って、その努力は惜しみませんでした。
紙芝居から貸本漫画家をへて少年雑誌で食えるようになるまで、いや、今でも続けています。
なにしろ、漫画が好きだからです。
水木サンは売れなかった時代でも、原稿料の大半は、漫画の筋を考えるのに役に立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。
食べ物を買うお金も満足に残りませんでしたが、それだげ「好き」の力が強かったのです。
ところが、同業者の家に行くと、本なんか一冊もない人たちも少なくありませんでした。
面白おかしく、楽しみながら好きな漫画を描いて、楽して暮らしたいという人たちです。
はっきり言って、ほとんどが消えていきました。
たぶん「好き」のパワーが弱かったのです。
水木サンが幸福だと言われるのは、長生きして、勲章をもらって、エラクなったからなのか?
違います。
好きな道で六十年以上も奮闘して、ついに食いきったからです。
ノーベル賞をもらうより、そのことのほうが幸せと言えましょう。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
好きなことにのめり込み、才能が開花してどんどん伸びたとします。
でも、食べていくのは大変です。
なかなかもうかるもんじゃない。
努力に見合うマネーはなかなか得られないのです。
だからといって、絶望したり、悲観したり、愚痴をこぼしてはいけません。
ただただ、努力するのです。
そうです、好きな道なのですから。
栄光や評価など求めず、大好きなことに熱中する。
それ自体が喜びであり、幸せなのです。
水木サンの場合、それが漫画を描くことでした。
その行為が金銭的に報われる方がいいに決まっていますが、結果の善し悪しには運がつきまといます。
水木サンには貸本漫画家をやっていたころ、描いても描いてもちっとも売れず、版元から「貧乏神」扱いされていた時期があります。
「水木しげる」のペンネームを、版元が勝手に別の名前にしてしまったことさえあるんですよ(笑)。
いやあ、あのころはホントに必死で努力したけど、ちっとも報われなかった。
それがどうです、今、古本屋を冷やかしていると、あの「貧乏神」扱いのころの水木サンの貸本漫画が、何十万円もの値札をつけて売られているではありませんか!
第六条 怠け者になりなさい
自分の好きなことを自分のぺースで進めていても、努力しなくちゃ食えん、というキビシイ現実があります。
それに、努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。
だから、たまには怠けないとやっていけないのが人間です。
ただし、若いときは怠けてはだめなのです!
何度も言いますが、好きな道なのですから。
でも、中年を過ぎたら、愉快に怠けるクセをつけるべきです。
水木サンは理想の怠け者生活の模範として、猫とつげ義春さんをあがめていました。
猫もつげさんも天才だから、なかなかマネできません(笑)。
死なない、病気にならない、働かなくてすむ――。
水木サンはベビイのころから、こうした楽しい世界を心の中でずっといじくってきました。
そうです、現実とはまったく逆の、怠け者の世界です。
人間として生まれた以上、一度は経験してみたい憧れの世界です。
戦争中に知ったラバウルのトライ族の世界は、そんな水木サンの憧れの暮らしを見事に実践していました。
貧しくても、これこそが文明人の求める幸福だと思い、戦争が終わった時には、この楽園に永住しようとホンキで考えました。
残念ながら南方に永住する夢はかないませんでしたが、復員して何とか食えるようになってから、付き合いを再開しました。
連載の本数を減らして、世界中の楽園や妖怪の棲み処を訪ねる「世界妖怪紀行」も始めました。
今までに七十八回も世界中を旅していて、これが水木サンの最大の「怠け術」です。
毎回、本当に楽しく、あまりにもわくわくするので、片目をつぶって休ませることさえあります(笑)。
両目をあけていると、愉快すぎて疲れてしまうからです。
太古から伝わる踊りがあると、見物しているうちに自然に踊りの輪に加わります。
我知らず、「きゃー」なんて奇声を発して、陶酔します。
大地からわき出し、天から降ってくるようなリズムが、水木サンの全身全霊を揺さぶり動かすのです。
「世界妖怪紀行」は怠け紀行でもありますが、元気になります。
ときどき怠けることは、生きていくうえで大切なことです。
そして、仕事でも役立つのです。
第七条目に見えない世界を信じる
世の中には、人間の五感ではつかまえられないものがいます。
世の中には「見える世界」のほかに「見えない世界」が広大無辺に広がっているのです。
そこには「目に見えないもの」がたくさんいます。
水木サンの目にも見えないけれども、感じます。
確かに蠢(うごめ)いているのです。
地獄や極楽、妖怪、精霊、憑き物・・・。
すべて、目には見えないものです。
その代表である妖怪たちは、電灯やネオンの光に棲み処を奪われて絶滅の危機に瀕していて、現代人はその存在を忘れ去ろうとしています。
これは大いに問題です!
いろいろな文献を読むと、かつて妖怪が盛んに活動していた昔は、現代にはない充実感のようなものが山野に満ちあふれていたようなのです。
その存在感が薄れるとともに、人間はつまらなくなったようです。
ベビイのころから並外れて妖怪感度が強かった水木サンは戦争中、死のことばかり考えていました。
実際、何回も死にかけました。
ふまじめな陸軍の二等兵だった水木サンは、上官から「死ね」「死ね」と言われ続け、危ない方へ、危ない方へと行かされました。
生き残ったのは奇跡です。
あまたの幸運のひとつでも外れていたら、間違いなくあの世行きでした。
たぶん「目に見えない何者か」が生かしてくれたのでしょう。
目に見えないものがいると思うと、水木サンの心は妙に落ち着き、気持ちが和み、元気に幸せになります。
そうです、彼らは人類を活気づけ、生き生きとさせる不思議な力を持っているのです!
あなたも目に見えないものを信じることで、彼らから元気と幸福を授けてもらえることでしょう。
そんなわけで水木サンは最近、「国立不思議大学」を創設して初代学長兼妖怪学部長に就任したいと、マジメに考えているのです。
「憑依学専攻コース」を作って、憑き物について本格的に研究するのです。
何でも合理的にしてしまうと、人間は満たされません。
世間に流布する認識能力や価値観ではつかまえきれない、さまざまなことがらが解明されれば、必ずや人類の幸福に貢献するはずです。
さて、幸福観察学会による「幸福の七ヵ条」はいかがでしたか?
幸福を手に入れるのは実にタイへンですが、しかし大切なのはその人の生き方次第である、ということが分かったのではないでしょうか。
ここで最後に、水木サンの人生の大師匠、ゲーテ大先生にご登場願うことにします。
水木サンは徴兵に取られて戦地へ送られるときに、文庫本の『ゲーテとの対話』を雑嚢(ざつのう)に忍ばせていったほどの大ファンなのです。
大先生は八十三歳で亡くなるとき、
「ああ、この部屋は暗い。光がほしい、もっと光を!」と言いました。
この遺言は有名ですが、それ以外にも人生のあれこれについて珠玉の格言を残しています。
幸福論に関するものとしては、たとえば――。
「結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかった。
七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった」
分かります、この気持ち(笑)。
先生はその前の年、七十四歳で十九歳の女性に求婚します。
生涯、恋に生きた大先生でした(ウラヤマシイ)。
でも、このときはあっさり断られます。
この失恋の痛手が言わせた言葉なのかもしれません。
そうかと思えば、こんなことも言っています。
「いつも遠くへばかり行こうとするのか?
見よ、よきものは身近にあるのを。
ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ」
いい言葉です。
「人間は落ちるところまで落ちると、もはや他人の不幸を喜ぶ以外楽しみはなくなってしまう」
なんて格言も残しています。
一転して辛辣(しんらつ)ですが、人間の真実を鋭く衝いています。
「世の中のことは何でも我慢できるが、打ち続く幸福な日々だけは我慢できない」
さすがは世界的な詩人、小説家として膨大な作品を残す一方で、ワイマール公国の首相を務めた人です。
結局、幸福に安住してはいけないのです。
だいぶ話があちらこちらに飛んでしまいましたが、分かったようで分からない水木サンの幸福論、これにて店じまいです。
なお、実は巻末に「わんぱく三兄弟、大いに語る」という特別付録があって、水木サンの幸せに満ちあふれたベビイ時代の話を満載しています。
幸福を求める読者のみなさんの参考になるでしょうから、ぜひ読んでみてください。
最後に蛇足のひと言。
幸福に関する水木サンのテツガク的論考は、あの世に行くまで、いやホントにあの世へ行っても続くのです。
『水木サンの幸福論』
(水木しげる 著)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体