カインとアベル
聖書の創世記では、
アダムとイヴの子供として長男のカインと次男のアベルが産れます。
ここでへブル語の原義では、カインは物質、アベルは霊すなわち生命を意味しています。
アベルは羊を飼う者(キリスト、普遍意識)と成り、
カインは地を耕す者(自我意識)になったことで、
全体から分離した意識が生じたことを示唆していますが、
日が経ってから、カインは地の産物を持ってきて神に供え、
アベルは群れの中から初めて産れた子羊と、一番肥えた羊を持ってきて神に供えます。
ここで神はアベルとその供え物は顧みられたけれども、
カインとその供え物は顧みなかった。(創世記第四章三節~五節)とあります。
これは単なる話として聞けば不公平なようにも思えますが、
ここで「初めて産れた子羊」とは、人間として初めて表現を始めた魂のことを、
そして「肥えた羊」とは、様々な経験を積んで成熟し、地球生命系の卒業段階に到達した魂のことをそれぞれ指しています。
つまりアベルの供え物とは、
魂が地上経験を積んでどのように成長したかと言う霊的進化を象徴しているわけです。
これに対してカインが供えた地の産物は、
物質的な結果、
例えば財産や地位や名誉といった地上的な成功を意味していますから、
何れも、その転生が終れば無に帰してしまうもので、
神が顧みられなかったのは当然のわけです。
カインは、自分や自分の供え物が神から顧みられなかったことに怒って弟のアベルを殺してしまいますが、
この話は、霊が一時的に物質に支配されてしまった状態、
つまり、肉体に化身したことで物質世界の現象に関心が移り、
自らの使命を忘れて、周囲の出来事に振り回されるようになってしまった心の状態を指しています。
『黎明〈下巻〉』
(葦原瑞穂 著、太陽出版 刊)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
アダムとイヴの子供として長男のカインと次男のアベルが産れます。
ここでへブル語の原義では、カインは物質、アベルは霊すなわち生命を意味しています。
アベルは羊を飼う者(キリスト、普遍意識)と成り、
カインは地を耕す者(自我意識)になったことで、
全体から分離した意識が生じたことを示唆していますが、
日が経ってから、カインは地の産物を持ってきて神に供え、
アベルは群れの中から初めて産れた子羊と、一番肥えた羊を持ってきて神に供えます。
ここで神はアベルとその供え物は顧みられたけれども、
カインとその供え物は顧みなかった。(創世記第四章三節~五節)とあります。
これは単なる話として聞けば不公平なようにも思えますが、
ここで「初めて産れた子羊」とは、人間として初めて表現を始めた魂のことを、
そして「肥えた羊」とは、様々な経験を積んで成熟し、地球生命系の卒業段階に到達した魂のことをそれぞれ指しています。
つまりアベルの供え物とは、
魂が地上経験を積んでどのように成長したかと言う霊的進化を象徴しているわけです。
これに対してカインが供えた地の産物は、
物質的な結果、
例えば財産や地位や名誉といった地上的な成功を意味していますから、
何れも、その転生が終れば無に帰してしまうもので、
神が顧みられなかったのは当然のわけです。
カインは、自分や自分の供え物が神から顧みられなかったことに怒って弟のアベルを殺してしまいますが、
この話は、霊が一時的に物質に支配されてしまった状態、
つまり、肉体に化身したことで物質世界の現象に関心が移り、
自らの使命を忘れて、周囲の出来事に振り回されるようになってしまった心の状態を指しています。
『黎明〈下巻〉』
(葦原瑞穂 著、太陽出版 刊)
・・・掲載に際して一部の文章を割愛しました(究魂 拝)
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体