キリストの復活と七つの意識レベル

さて、前生において、あなたは決して光よりむ先に進むことはなかった。
あなたがこの生に戻ってくる前に、光のもとで、あなたは自分の前生を回顧した。
その回顧は、光の体の中で行われた。
その人生を振り返るとき、すべてのエネルギーが展開され、あなたが何をしたのか、あなたが誰であったのか、あなたが何を達成したのか、あなたがどのように進化したのか、また何を進化させなかったのかが、生きたスクリーンの上に映し出された。
それはただエネルギーをほどき、それが上演されるのを許したのだ。
それから、あなたがこの天界に戻ることを決心したときも、あなたは肉体ではなく、光の体を使って考えていた。
しかし、あなたは肉体の中でもっとうまくやれたはずだということをまだ認識していた。
光に向かって進む存在たちが彼らの人生の回顧について語り、しかも、審判という認識をもって回顧していたというのは面白いことではないか?
彼らはこの脳を持っていなかった。
彼らはそこで見たことをどうやって評価したのだろうか?
彼らは脳を持っていたのだ。
その脳とは、何だったのか?
それはここにある灰色の組織の脳ではなく、彼らが宿っている体の脳だ。
あなたが死ぬと、直ぐに赤外線領域に入って行く。
それはサイキックな領域だ。
サイキックな領域から光のシャフトが現われ、あなたがそれを降りて行くと、実際には、あなたは赤外線領域の低い周波数帯から高い周波数帯に移動しているのだ。
それから、あなたは光にぶつかる。
その光とは、誰だろうか?
あなただ。
そこは、あなたがすべてを眺める場所だ。
あなたが自分の肉体的な人生についての決定をしている間も、他の四つの潜在的な生命、体は、光の中に畳み込まれて存在している。
そして、あなたが続けているのは、この人生に一戻ってくることに同意することだけである。
何人が理解しているだろうか?
従って、あなたはこれら四つの体(上位のシール)を全く変えなかった。
全く変えなかったのだ。
それは言わば、隠れているのだ。
我々は常に光の体を変えているが、それは、光の体がもっと若々しく、健康なこと以外は、今のあなたが入っている体とちょうど同じようなものだからだ。
なぜそれは今のあなたの体と同じように見えるのだろうか?
なぜなら、今のあなたの肉体は、それを今見えているようにする精神を光の場に与えなければ、そのように見えることはなかったはずだからだ。
何人が理解しているだろうか?
だから、我々はいつも光の体、赤外線の体と肉体をリサイクルしている。
しかし、我々は上位の四つの領域にある隠れた体をまだ使ってはいないのだ。
さて、私の話についてきなさい。
眠ってはいけない。
私はたくさんの知識をあなたに伝えようとしているのだ。
退屈しないように。
それらの体のすべては、あなたの内側と周囲にある。
あなたが自分の手を見て、前に話した原子の場について考えたならば、このことについて考えてみて欲しい。
ひとつの原子の放射の場は、それらの体の放射場に相当する。
言い換えれば、あなたの手のあらゆる原子は、七つのレベルの時間によって構成されている。
わかっただろうか?
つまり、手は七つのレベルがこれ(物理的な物体)に凝縮されてできたものなのだ。
しかし、もし我々がその現実に挑戦したらどうなるだろうか?
我々が自分の体がこのように見えるのを無視して、違うように見えることを主張し続けるとどうなるだろうか?
そうすることは可能なのだろうか?
何人がそう思うだろうか?
もちろん、可能だ。
これは電子にはあてはまるが、あなたにはあてはまらないなどと、量子力学は言っていない。
あなたの体の回りのこの場は、あなたの体の組織の中に隠された七つの体を持っている。
これが死んだとき、まずは、ひとつの体を手放す。
その体は赤外線になる。
しかし、赤外線の体には、他のすべての体が含まれており、あなたはそれらを脱ぎ去って行く。
あなたは理解しているだろうか?
では、これや、これや、これや、これ(上位の四つの体)は、イエシュア・ベン・ヨゼフがキリストになったのと、どんな関係があるのか?
というのも、彼は神の上位の王国にアクセスしていることを証明しなければならなかったからだ。
そして、彼は奇跡を行ったり、教えを与えるというあらゆる方法でそれを証明した。
しかし、すべての人が心の奥底で恐れるものがただひとつあった。
それが死だった。
その時代、ギリシャ系ユダヤ人だけが輪廻転生を信じる人々だった。
アブラハムのユダヤ人は、転生を信じていなかった。
彼らは地獄を恐ろしい所だと信じていたが、Hellという言葉は、もともと、遺体が(動物に食べられて)ばらばらになってしまうような浅い墓という意味にすぎなかった。
イエシユア・ベン・ヨゼフは、ひとつの文化の人々に死後にも生があることを見せなければならなかった。
そして、彼がそのためにとるべき方法とは、自分自身の生命を犠牲にすることだった。
従って、彼はここ(第一シール)の意識と、ここ(第二シール)の意識を引き上げなければならなかった。
体を死なせてから、次々にすべての体を開きながら―ずっと上まで―ちょうどここ(第七シール)まで移動しなければならなかった。

そして、彼は「私の父と私は一体である」と言い、
「私の精神は、もはやこの恐ろしい時代のダピデの家からのものではない。
私の精神は、内面の父そのものである」と続けたのだ。
この精神とは誰のことだったのか?
第一の精神のことだ。
それから、彼はそれらの体の一つ一つをすべて脱ぎ、光の体さえも脱いで行かねばならなかった。
彼はそれを身につけていることができなかった。
彼はブルーボディを顕現させるために、光の体を脱ぎ去らなければならなかったのだ。
彼はシパであるブルーボディを脱ぎ去らなければならなかった。
こうして、彼はゴールデンボディを顕現させた。
彼はゴールデンボディを脱ぎ去ると、ローズボディに到達し、それから「未知なる無限」に行かなければならなかった。
そして、彼がそこまで行って初めて、もはや腐敗しない存在になったのだ。
彼が下にある体を復活させ、それに生命を与えたのは、ちょうどここ(第七の天界)の状態からだった。
彼が体に与えたのは生命だ。
言い換えれば、ここでの彼の肉体は、光の周波数に近いところで振動していた。
そして、彼は人々と交流して最後の教えを与えられるように自分の体の波動を遅い状態に保ったにすぎなかった。
なぜその体はそれほど速く振動していたのだろうか?
彼の意識がそのレベルにあったからだ。
今や神が人になっていた。彼は体の波動を上昇させ、その物質を再構成させた。彼はそれを神の点から再構成したために、それはとても速く振動していた。
では、彼が去ったとき、どこに行ったのだろうか?
彼はただ周波数を上昇させただけなのだ。
言い換えれば、彼はこの原子の周りでこれを回転させ始めたのだ。
すると、その回転が原子核の内側に向けて崩壊し、今度は原子核が回転を始めた。
彼はそれをやり続けている間―その問中―、そのすべての回転によって、それらの粒子のどれもが自由な空間に入ることができるようになった。
こうして、彼は七つの体を展開させたのだ。
だから、彼が消えたとき、彼は光の中に消えて行ったのだ。
さて、彼がキリスト、覚醒した存在と呼ばれるようになったのは、このときだった。それが最後の試練だった。
彼の意識は絶対的にこれと一体になり、死さえもその精神に逆らえないほどになる必要があった。
その結果、今やこの存在にまつわる偉大な伝説や神話や宗教が存在している。
しかし、あなた方に全く語られてこなかったことがある。
イエスはあなたの人生を救うために来たのではなく、むしろ、人間の中にある神の力を体現した一人のマスターだったということだ。
誰であろうとそれを見る目を持っていれば、それが理解できただろう。
そして、誰であろうと、そのメッセージを聞く耳を持っていれば、メッセージが与えられただろう。
そして、人々は人間の聖霊が永遠へと変容していくことを理解できるほど単純にならなければならなかった。
それが実演されていたのだから。
それは彼だけによって示されたのではない。
人々はすぐ忘れてしまうので、ずっと昔からあらゆる文明において、それは示されてきたのだ。
では、今、我々は何を持っているのか?
イエスが神の唯一人の息子だとする宗教だ。
彼だけでなく誰もが神の息子、神の娘なのだから、全くナンセンスな話だ。
それに、彼はあなた方を救うことはできない。
もし彼にそれができたなら、一世紀にそうしただろう。
わかっただろうか?
だが、彼のメッセージはこうだったのだ。
では、どうして、彼は弟子たちにこれを教えなかったのだろうか?
彼らが単純な人々だったからだ。
彼らは漁師だった。
彼らは税金徴収者だった。
彼らはちょうどあなた方のような人々だった。
どうしたら、彼がそれを彼らに教えることができただろうか?
彼にはできなかったのだ。
彼にできたのは、寓話や行動を通して教えることだけだった。
そして、彼はこう言った。
「信じなさい。あなたの目があなたに嘘をついたなら、その目をつぶしなさい。
あなたが信じているのに、あなたの腕があなたに逆らうなら、それ切り落としなさい」。
それは、あなたの肉体が何を主張しようとも、それは真実ではないということを表現するための例え話だったのだ。
わかっただろうか?
『ラムサの教え』(後藤雄三 訳、ホームポジション刊)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体