霊と魂と霊魂とが違うことがわかったら、次に、生を知らねばならない。
生は、人間が生きることを意味している。
つまり、死んでいないことである。
死んでいないとは、この世においては、肉体が動いたり、何か表現したりしている状態をいう。
そこに必ずしも意識がある必要はない。
つまり、地上の人間にとって生とは、単に肉体が活動している状態にすぎない。
生は、意識や心とは無関係なのである。
しかし、これが幽界や霊界といった死後の世界では、話は別である。
幽体をもって活動している霊魂たちに死はない。
とすれば、生とは、地上において肉体が反応している状態をいい、肉体が無反応の状態の時には、これを死と呼ぶことになる。
それは、医学的にいう死の定義が参考になろう。
しかし、ここに一つ、問題がある。肉体が無反応でも、霊魂の体としての幽体や霊体が肉体の中にとどまり、肉体の意識も未だ肉体の中にとどまっている場合をどうするのか、という問題が出てくるのである。
その状態は、肉体は反応しなくとも、意識がある状態である。
医学では、残念ながら、これをも死と呼ぶ。
しかし、その状態は、実際には、生きているのである。
その状態において、もしも何らかの原因で肉体が再び反応を始めたら、人間は生き返ってしまう。
それが、蘇生の原因なのである。
しかし、そこまでは、地上の医師には無理な判断である。
私たちは医師の判断により生と死を決めるしかないといえる。
それはやむをえないことである。
ここで霊魂の世界の医師は言う。
「死、それは、地上の霊魂が、幽体を表面の身体とする霊魂になることである。」と。
命(めい)、それはいのちである。
生と命で、生命と呼ぶ。
生は、人間の肉体の中にとどまって生活しうる期間である。
それに対し、命(めい)は、死後の世界まで持って行く命(いのち)である。
命は、なくなることはない。
それは、生とは違う。
生は、生さることであり、死ぬという用語を用いた瞬間、一端切れてしまう。
「新しく生きる」という用い方はできても、それは、死という用語の前では必ず一度中断させられるものである。
このように、生と命とは別である。
文字が違う以上、古人も当然、これらを別々の意味で用いた。
命(めい)は、死後の世界での生である。
それは、幽界を越え、霊界へ入り、そのまた上の上級霊界へ入ってもなお、存在しているものである。
それに対し、生は、地上でのみ使いうる用語である。
幽界以上の世界に対して、生という用語は用いるべきでない。
そこには、死という対語が存在しないからである。
死がない以上、生もない。
死、それは、消滅を意味する。
個性が消滅しない以上、死後の世界においては、死はないのである。
死がない所には生もない。
死後の世界の用語は、生ではなく、命(めい)=いのちのみとなる。
生と命が別であることを学んだら、次は、生命である。
霊と魂と霊魂は別であった。
しかし、生と命と生命は、イコールである。
これらは、地上に生きている時の生命、死後の命としての生命、そういった意味だからである。
生=生命であり、命=生命である。
更には、生+命=生命ともいえる。
生命とは、魂(たましい)としての個性が存在している状態、つまり、死んでおらず、何か反応する状態をいう。
生命は、存在している個性の状態ということができる。
しかし、霊魂は、そうではない。
霊魂は、実質であり、実在であり、状態ではない。
存在している状態が、生命のある状態であるが、霊魂は、人間の地上での死、幽界・霊界での命とは無関係なのである。
それは、霊魂であるあなた自身の本当の実質であり、正体である。
生命、それは、霊魂としての人間の個性を表現しうる状態にあることをいう。
人間が、まったく何の表現も為せなくなったら、生命は、なくなったのである。
しかし、生命はなくとも、霊魂は存在しているかもしれない。
さて、霊魂学は、入門のうちから難関にぶつかってしまった。
それは、本書の読者が神を知らないからである。
読者は神体をもっていないにちがいない。
それが、霊魂学の講義を難解にしてしまうのである。
『霊魂学を知るために』(ライブ出版 刊)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体