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今生は「水に描かれた生」

死とはきつい靴を脱ぎ捨てるようなものです

死んだときでさえも、あなたはまだ生きています
あなたは死によって存在しなくなることはありません
消えると思うのは幻想です
生きながら死の戸口を通りぬけていき
意識の変化はありません

あなたの行くのは見知らぬ世界ではなく
成長のプロセスの続いている、いきいきとしたリアルな世界です

生と死を対極にあるものとみなしてはなりません
死は出口であるというよりも入口であるといったほうが真実に近いでしょう

死の戸口を通りぬければ驚くほどの活力がもどってきます
あなたがたは「水に描かれた生」と言われるものから
もの自体の世界、おおもとのリアリティの活力の中に入ってゆくからです

もし死をゆたかでさわやかな美しい澄みきった湖とながめれば
意識は肉体の出口のほうへゆくとき
いそいそと喜ばしく飛びこんで、ただ泳ぎ去るだけなのです

『エマヌエルの書』(ヴォイス 刊)
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

お金なんてしょせん紙切れ

リンゴ農家でリンゴが実らないのだから、数年後には、木村家は極貧の生活を強いられることになる。

当時、3人の娘さんは小学生だった。
消しゴムを買うと、ナイフで3つに分けて学校へもたせた。
1個10円の消しゴムである。
それだけ経済的に窮することになるのだ。

その真っただ中で、美千子さんはこんな名言を吐いた。

「お父さん、お金なんて、しょせん、紙切れじゃないですか」

他人事だったらいくらでもいえる。
しかし、自分がどん底にいるときに、なかなかいえるものではない。

彼女の場合、いっただけではなく、実際に1か月3000円の生活費で家計を切り盛りしたというのだから立派のひと言に尽きる。
30年前とはいえ、1日100円の生活費である。
それで家族5人、どうやって生活しろというのだ。
それをやり遂げてしまうのは、津軽の女だからなのか、美千子さんというキャラクターだからなのか、とにかくすごいことである。

「おかずは雑草な。
いろんなの食べたな。
おいしかったのはハコベ、それにアケビの新芽。
畑にいっぱい出ているギシギシって草があるけど、春の新芽を酢の物にするとおいしいのな。
まずかったのはオーチャード。
これはさすがに空腹でも食が進まなかった」

オーチャードグラスというのは、いわゆる牧草である。
ウサギが喜んで食べるカサカサした草だ。
あれをどう料理して食べようというのだ。
「おいしくなかった」というのだから、何らかの料理として食卓に上がったのだろう。

後日談だが、木村さんがテレピなどで紹介されるようになってから、3人の娘さんが、口をそろえていったことがある。
「えっ!私たちって雑草を食べていたの?」

『木村さんのリンゴ奇跡の秘密』(学研パブリッシング 刊)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

ありがたいという下座の気持ち

「ありがたいという気持ちを忘れているんだと思うな」
と木村さんはいう。

日本人が忘れてしまった「ありがたい」という気持ちを、ケニアの人から教えられたことがあったそうだ。
大根づくりを習いに5人のケニア人が弘前に来た。
乾季に育てたいので水をやらないで発芽させたいという。

「水をあげないと芽が出ないので、私はちょっとだけ工夫をしたのな。
茶碗のお尻の部分で土をへこますのな。
そしてへこんだところへ種をまく。
そうすると、朝露がくぼみに集まってくるから、水をやらなくても、どうにか水分がとれるわけだ。
ケニアの乾季でも、そういうふうにすれば、大根も芽を出すはずだと考えたのな」

彼らが滞在するのは3日間だけ。
その間に芽が出ればいいけれど、果たして水なしで大丈夫だろうか。
やることはやったけれども、芽が出るという確証はなかった。

「帰る日の朝5時ごろな。
気になって、畑へ行ったのな。
そしたら、ケニアの人たちが先に来て、畑で踊っているのな。
どうしたのだろうと思ったら、芽が出ているというわけ。

彼らは、土に額をつけて土下座みたいにしていてな。
何をしているのかと聞いたら、
土の精霊に感謝しているっていうのな。
いやあ、これこそ人間だって思ったな」

彼らは、1日目も2日目も「芽が出ますように」とお祈りしていたそうだ。

木村さんの工夫に彼らの祈りがプラスされたことで、水もやらないのに芽が出たのかもしれない。
木村さんも、その気持ちがわかる。
リンゴがならないとき、いつも祈るような気持ちだった。
しかし、祈るだけではいい結果は出ない。
やるべきことをやったうえで祈ることが大切なことも、リンゴから教えてもらった。

「土下座までしなくていいけどよお、そんな気持ちはもっていたいよな」

リンゴの木に感謝する。
畑に感謝する。
土に感謝する。
収穫が終わった後、木村さんが木や畑や土にお礼をいっていることはすでに述べた。
感動的な話だ。

木村さんが指導したある村でのことだった。
宴会の席で、木村さんはこの話をした。
すると宴会の最中なのに、4合瓶だの1升瓶だの、お酒を抱えて田んぼへ向かった人がいたそうだ。

彼らは、田んぼにお酒をまいて、
「今年一年、ありがとうございました。ご苦労様でした」
とお礼をいうために中座したのだった。

「行った人は、きっと経営が苦しいと思うのな。
だって、苦境に立たなければ、そんな気持ちにならないもの。
私も貧乏の極限を体験したから、そんなことを思ったのだから」

裕福だと気づけないことはたくさんある。
経済的には貧しくても、収穫が終わった後、田んぼにお礼に行ける気持ちは、どんなに尊いものか。

何人の方が行ったかは知らないけれども、彼らはお金には代えられない心の財産を手に入れたのではないだろうか。

『木村さんのリンゴ奇跡の秘密』(学研パブリッシング 刊)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

高級霊能者

高級霊を背後にもつ霊能力者は、必ずしも、人間として立派ではない。

霊能力者の人格をうんぬんすることは、必ずしも意味のあることではない。
それは、霊能力者の本質を知らない人の言うセリフである。

むしろ端的に云って、高級霊能力者は一般に異常者である。
なぜなら、本物の高級霊と交流すると、人間の社会の裏が読めるからである。
月並みの道徳や倫理にははまらない基準をもつようになるのである。

世間の人が「ヒッピー汚ない」と言う時、高級霊能力者はヒッピーの目の中に、真理に対する憧れを発見し、共に人生を語るのである。

高級霊能力者は、真理を知ろうとする魂であり、物事の本質を見分ける魂である。
見かけの美しさや権威など問題にもしないものである。

真理のために、世の中で批判されようとも、無関係である。
彼らはただ神、または仏、または、真理、それらのためにのみ生きるからである。
世間から評判が良く、いつもニコニコし、服装を正し、人格者と呼ばれる人とは、一線を画している。

高級霊は、人類を指導したいと考えている。
それは、時に、精神的革命である。
歴史上の偉大な宗教家がそうであったように、その時代、その民族の間違いは、実力で正さねばならないのである。
高級霊能者は、それでもまだ、人並みである。

私のいう霊力者となると、もっと人間ばなれしてくる。
その心の中にはいつも、人類の未来が住んでいる。
人に何と言われようとも、おかまいなしである。
大悪党とか、偽メシアとか言われても、人々に石を投げられ、十字架にかけられようとも、彼の心は、神と人類に向いている。

『霊魂学を知るために』(ライブ出版 刊)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

生、命(めい)、生命

霊と魂と霊魂とが違うことがわかったら、次に、生を知らねばならない。
生は、人間が生きることを意味している。
つまり、死んでいないことである。
死んでいないとは、この世においては、肉体が動いたり、何か表現したりしている状態をいう。
そこに必ずしも意識がある必要はない。

つまり、地上の人間にとって生とは、単に肉体が活動している状態にすぎない。
生は、意識や心とは無関係なのである。

しかし、これが幽界や霊界といった死後の世界では、話は別である。
幽体をもって活動している霊魂たちに死はない。
とすれば、生とは、地上において肉体が反応している状態をいい、肉体が無反応の状態の時には、これを死と呼ぶことになる。
それは、医学的にいう死の定義が参考になろう。

しかし、ここに一つ、問題がある。肉体が無反応でも、霊魂の体としての幽体や霊体が肉体の中にとどまり、肉体の意識も未だ肉体の中にとどまっている場合をどうするのか、という問題が出てくるのである。

その状態は、肉体は反応しなくとも、意識がある状態である。
医学では、残念ながら、これをも死と呼ぶ。
しかし、その状態は、実際には、生きているのである。
その状態において、もしも何らかの原因で肉体が再び反応を始めたら、人間は生き返ってしまう。
それが、蘇生の原因なのである。

しかし、そこまでは、地上の医師には無理な判断である。
私たちは医師の判断により生と死を決めるしかないといえる。
それはやむをえないことである。

ここで霊魂の世界の医師は言う。
「死、それは、地上の霊魂が、幽体を表面の身体とする霊魂になることである。」と。

命(めい)、それはいのちである。
生と命で、生命と呼ぶ。
生は、人間の肉体の中にとどまって生活しうる期間である。
それに対し、命(めい)は、死後の世界まで持って行く命(いのち)である。

命は、なくなることはない。
それは、生とは違う。
生は、生さることであり、死ぬという用語を用いた瞬間、一端切れてしまう。
「新しく生きる」という用い方はできても、それは、死という用語の前では必ず一度中断させられるものである。

このように、生と命とは別である。
文字が違う以上、古人も当然、これらを別々の意味で用いた。
命(めい)は、死後の世界での生である。
それは、幽界を越え、霊界へ入り、そのまた上の上級霊界へ入ってもなお、存在しているものである。

それに対し、生は、地上でのみ使いうる用語である。
幽界以上の世界に対して、生という用語は用いるべきでない。
そこには、死という対語が存在しないからである。
死がない以上、生もない。

死、それは、消滅を意味する。
個性が消滅しない以上、死後の世界においては、死はないのである。
死がない所には生もない。
死後の世界の用語は、生ではなく、命(めい)=いのちのみとなる。

生と命が別であることを学んだら、次は、生命である。
霊と魂と霊魂は別であった。
しかし、生と命と生命は、イコールである。
これらは、地上に生きている時の生命、死後の命としての生命、そういった意味だからである。
生=生命であり、命=生命である。
更には、生+命=生命ともいえる。

生命とは、魂(たましい)としての個性が存在している状態、つまり、死んでおらず、何か反応する状態をいう。
生命は、存在している個性の状態ということができる。

しかし、霊魂は、そうではない。
霊魂は、実質であり、実在であり、状態ではない。
存在している状態が、生命のある状態であるが、霊魂は、人間の地上での死、幽界・霊界での命とは無関係なのである。
それは、霊魂であるあなた自身の本当の実質であり、正体である。

生命、それは、霊魂としての人間の個性を表現しうる状態にあることをいう。
人間が、まったく何の表現も為せなくなったら、生命は、なくなったのである。
しかし、生命はなくとも、霊魂は存在しているかもしれない。

さて、霊魂学は、入門のうちから難関にぶつかってしまった。
それは、本書の読者が神を知らないからである。
読者は神体をもっていないにちがいない。
それが、霊魂学の講義を難解にしてしまうのである。

『霊魂学を知るために』(ライブ出版 刊)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

霊と魂(こん)そして霊魂

まず、霊とは、幽界に存在する霊魂たちには全く見当がつかない謎の存在である。
仮に、幽界に霊という実体が存在したとしても、彼らにはまず感知できない。
それは、幽界の一つ上の階層である霊界でも同じことである。

霊は、霊界よりも更にもう一つ高級な世界、上級霊界において初めて感知することができる。
上級霊界は、霊体を用いて生活する世界である。
これは、地上の人間にとって、とても想像しがたいことである。
しかし、それを体験しなくとも、読者の理性はそれを理解することができる。
なぜなら、読者も同様に霊だからである。

霊、それは、一個性である。
魂(こん)、それは、一個性を支える原理といえる。
霊魂、それは、個性と原理の前提となる意識である。
霊魂学の初級は、霊魂の定義から始まる。

個性は限界をもっている。
それは、人間が進化し、神霊と呼ばれる存在に向上する時まで、そのまま持ってゆくものである。

しかし、原理はそうではない。
魂(こん)という言葉の中に、この原理という言葉の深い意味が隠されている。
原理とは、原因と理性である。
魂とは、霊魂に至るための個性である。

つまり、最初の原因が神であり、
その結果誕生した高貴なるものが霊魂であり、
その霊魂を表現する個性が霊であり、
個性としての霊が霊魂に至るための原因と理性が、魂である。

霊魂とは複雑な集合体である。
それは、読者自身の守護霊や指導霊でさえも理解することが困難である。
彼らも未だ幽体の所有者だからである。
霊体の存在たる上級霊魂のみが、それを説明できる。

霊は、原理に基づく個性である。
しかし、魂は、それよりも更に複雑な個性である。
それは、霊魂に至るための個性なのである。

霊と魂は仲が悪い。
そして、霊魂は、霊と魂の延長線上にあり、より神に近い存在である。
正確にいえば、人間は霊魂であり、霊魂でない。

世間はあまりにも簡単に霊魂を定義しすぎる。
霊魂は人体の内部にあるとか、霊は心臓に宿るか、脳にあるとかいうように。
人々はあまりに無節操に軽はずみな発言をしている。

魂(こん)は霊とは別である。
ここでは、霊と霊魂、生命、そして意識、これらが実は相当にむずかしい実体であるとだけ理解してほしい。
まずそれだけわかれば充分だと思う。

『霊魂学を知るために』(ライブ出版 刊)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

自由選択

私たちが行う選択の多くは、自由選択からはほど遠いものです。

それは私たちの行為のほとんどが、外界からの刺激に対する学習された反応や無意識の反応で成り立っているからです。

『超次元の成功法則―宇宙の叡智と意識エネルギーを手に入れる』(ビジネス社刊)

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

未知の自分

目が覚めた瞬間、あなたは、自分が誰なのか分からないと思ったことはないだろうか?

目が覚めたとき、あなたは自分が誰かを知らないのだ。
あなたは部屋を見回し、そこがどこなのかを確かめる。
さらに驚くのは、隣で寝ている人間が誰なのか、一瞬分からないことではないだろうか?

そうしたことをあなたはじっくり考えてみるべきだろう。

ベッドから起き出す前の数秒間、われわれは自分から一時的に離れていたアイデンティティを再確認し、そのアイデンティティと再び結びつく。
このようにわれわれは、隣に寝ている人を見る瞬間に、自分のアイデンティティを形成しはじめるのだ。

それから起きあがり、身体を掻きながら起き出して、トイレに向かうが、その途中でわれわれは〔鈍に映った〕自分の姿を目にする。
なぜ自分の姿を見るのだろう?
なぜ、自分自身をじっと見つめるのだろう?

それは、自分が誰なのかを思い出そうとしているからだ。

自分が誰なのか、それはまだ謎のままである。

だが、もしもあなたが、自分が誰なのか、自分が何をどの程度まで受け入れ、何をどの程度まで拒絶しているのかを思い出さなければならないのなら、そして自分のことを思い出すために、毎日一定の儀式を行わなければならないのなら、あなたの一日がそれまでとはまったく違う一日になる可能性はどれくらいあるだろう。

実際には、その可能性はかなり低いと言える。

だが、もしも自分が誰なのかを思い出そうとする前、
隣で寝ているパートナーを目にする前、
ベッドから這い出してネコを驚かせる前、
鏡に映った自分の姿を見る前に、
「自分がなりたいもの」を思い出せばどうだろう。

あなたが何も思い出さないうちに、
「朝の儀式を行うニューロネット(神経細胞ネットワーク)に接続する前に、
ピックリするような一日、
ニューロネットに新たに加えられる一日、
体験という新たな1ページが人生に加えられるような1日を創造するのだ。

こうしてあなたは、あなたの1日を創造する―あなたの1日を創造するのだ。

あなたが、まだあなたではないその瞬間ほど、素晴らしく特別な瞬間はないだろう。

あなたの受容レベルはどれくらいだろう?

広く、深く、高いレベルで受容することこそが、信念というものだ。

自分が受け入れていないものを、人生のなかで実現することは絶対にできない。

人は、自分が受け入れているものだけを実現することができるのだ。

―ラムサ

『超次元の成功法則―宇宙の叡智と意識エネルギーを手に入れる』(ビジネス社刊)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

流行りに従う安易な生

地位や名声、高級車や豪邸、お金など、外の世界で何かを得ることが夢を実現させることだとマスコミや広告媒体は、毎日のように人々を煽ります。

しかし、そうしたものを手にしたところで、やはりあなたはあなたなのです。

それでも、忘れてはならないことがあります。

あなたがそんな状態になったのは、マスコミや広告や嘘つきたちのせいではありません。

彼らのせいにすれば、自分を犠牲者扱いすることになります。

けっきょく何に関心を払い、何に意識を集中させ、何を受け入れるかを決めるのは、自分自身なのです。
どんなことも自分自身が決めたこと。

責任の矛先を自分の外に向けるのは、自分の内面をおとしめることにほかなりません。

『超次元の成功法則―宇宙の叡智と意識エネルギーを手に入れる』(ビジネス社刊)

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

不幸の楯

(自殺するために)ロープをもって岩木山へ向かう直前、木村さんは作業小屋で夜遅くまで考え事をするのが日課だった。

家族も、お父さんがおかしくなったのではと心配するくらい考え込んでいた。

ある日のことだ。木村さんは、何かにつかれたように絵を描き始めた。

ひとりの男が楯(たて)をもって立っている。
空には太陽があって、男に光を送っている。
しかし、男の持っている大きな楯のため、光はさえぎられる。
影ばかりが大きくなってしまっているのだ。

木村さんは、その楯に、「虚栄心」「金欲」「物欲」と書いた。

この絵を見ながら、木村さんの心は大きく揺れた。

「なんでこんな絵を描いているのかわからなかった。
でも、この絵を見ていると、きっと自分の欲がいけないんだと思えてきたよな。
欲を捨てればうまくいくんじゃないかと思ったな。
無欲は無理だけど、少欲にして、なすがままに生きていこうと思ってな。
そうしようと自分にいい聞かせるんだけど、生活苦があるから、もう背中の荷物に押しつぶされそうになっているから、明日のことも考えられなくて、もう今しかなくてな」

頭では理解できるのだが、なかなかそれが感情にまで落とし込めない。

数日後には、死を決意して山に入っていくという時期である。
心は乱れていたことだろう。

しかし、木村さんの心に「少欲」という言葉はインプットされた。
そして、しばらくたって気持ちも落ち着いたころ、虚栄心、金欲、物欲という楯によってできた影は、不幸の影だと気がついたのだ。

「だから、木村農法の基本は『少欲』なのな」

『木村さんのリンゴ奇跡の秘密』(学研パブリッシング 刊)

テーマ : 気付き・・・そして学び
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プロフィール

究魂(きゅうこん)

Author:究魂(きゅうこん)

聴く耳を持つ者だけに届けばいい

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押してるのは僕だけ?・・・たぶん


魂には幾つかの系譜(けいふ、ライン、ファミリー、霊籍・ひせき)が御座います。

聴く時期に至ったラインのメンバーに届けばと存じます。

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